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3つの世界
写真や映画だけではなく,コンピュータによるインタラクティブな映像や大量のデータに基づくライフログの映像を考えるために暦本純一の「サイバネティックアースへ:サイボーグ化する地球とその可能性」を参照したい.「人間の世界,コンピュータやネットワークに代表される人工物の世界,実世界,の三つの世界の相互作用としてヒューマン・コンピュータ・インタラクションを考える必要がある」と暦本は言う.バルトなどの写真論ではなく,コンピュータ科学者の言葉の方が,現在の映像が置かれている状況を的確に捉えているように思われる.つまり,人間の世界と人工物の世界と実世界の関係性から,映像を考えなければならないのだ.私たちの生活が,コンピュータによって生み出されている情報の上に成り立っていることを考えれば,それは当たり前かもしれない.

この3つの世界での映像を考えるために,エキソニモの《断末魔ウス》とDIVVY/dualの《タイプトレース》という2つのソフトウェア作品を取り上げる.
デスクトップ臨死体験!!?叩く・斬る・削る・焼く・・・あの手この手で壊される “マウスの断末魔” をデスクトップで再現する,ソフトウェア作品.映像と同時に記録されたカーソルの動きは,物質とデータ,データと映像の垣根を跨ぎ,映像のフレームを命がけで乗り越える. 
TypeTrace(タイプトレース)は,コンピュータ上でのタイピング行為をその時間情報とともに記録し,再生するソフトウェアです. 
間主観的な映像
《断末魔ウス》はカーソルの位置情報を記録する.《タイプトレース》はタイピングの時間情報を記録する.記録された情報は映像に変換されて,ディスプレイに映し出される.ここで私たちが見ているのは,カメラのレンズが捉えた客観的な映像ではない.また,私たちが想起する主観的な映像でもない.

映像はデータに基づいており,データはヒトの行為から抽出される.そして,コンピュータがこのデータの流れを生み出している.データの流れの中で,ヒトは主観という特権的な位置にありながら,客観的なデータにもなる.
千房:うちの《断末魔ウス》[※19]も,マウスが壊れるまでのログを記録しているの.それはカーソルの座標とマウス自体の映像なんだけど,同時に記録してある.鑑賞者は自分のデスクトップ上で自分のカーソルでもって破壊の様子を擬似体験してしまう.
ドミニク:あれはマウスにすごく人格が宿りますよね.あの震える動きを見ていると,哀れみを感じるもの(笑).
千房:でも,あれによって「永遠に死なない存在」になるんですよ.カーソルの存在の根拠は「しょせん座標データだ」っていうことなんですけど.逆に座標を記録してあれば,完全にリアルな存在が再現できる.
TTは,このデジタル・タイプの無機質さを補完し,言葉が入力されたプロセスを映像や音楽のように再生する.各キー・タイプの時間差情報は,思考のリズムを反映するためのデータとして,いくらでも可視化・可聴化される.(p.131)
純粋なデータの流れの中では,ヒトはここにもいるし,あそこにもいるし,そこにもいる.モノはここにあるし,あそこにもあるし,そこにもある.「いつでもどこにもある」というデータの流れを生むコンピュータは,「かつてそこにあった/なかった」という意識なしで映像を考える可能性をヒトに与える.映像は,完全にリアルな存在として,いつでも,どこでも,いくらでも再現されるものになるのだ.

ヒトの行為から抽出されたデータが映像となることで,主観でも客観でもない「完全なリアルさ」が映像に付与される.この映像を間主観的な映像と呼びたい.間主観的な映像は,客観的なデータにヒトとコンピュータから双方からの主観的な補完が行われる場として機能する.暦本の3つの世界の区分けを私の言葉で言い換えると,「人間」が示していた主観性をもつものはヒトとコンピュータになり,「人工物」はデータとなって客観性を示し,「実世界」は間主観的な映像となる.

しかし,コンピュータに「主観」があるのだろうか.コンピュータに自律した知性があるかどうかはわからない.しかし,私たちは既にコンピュータとコミュニケーションを行い,ネットに代表される共有した世界を作り上げている.だから,コンピュータに「主観」を認めるべきである.それは私たちとは異なる形式の「主観」かもしれない.しかし,ヒトとコンピュータは互いに接近しようとしている.現段階では,主に映像を用いて共有世界を作り上げている.そして,この共有世界である間主観的な映像が,データの流れという新たな客観的な世界の源になるのだ.

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