「実写」という見た目を超えて,そこに「演算」を見ようとした


私は古館健さんの《Macro / Dynamics》をおおがきビエンナーレで見たとき,これはコンピュータによってリアルタイムに生成されていると思っていました.そして次のように書いています.

「ある規則をもとに生成される像」自体にはコンピュータと現実とのあいだに違いはないでしょう.ですが,コンピュータによって生成されたものは,それが何かに似ているとか,見立てられたものであるとかの意味のフックがないかぎり,ヒトにとってまだ「意味」が見出だせない現象なのではないでしょうか.

後日,古館さん自身からこの映像が「実写」であるとのリプライを頂きました.


とても不思議な感じがしました.「実写」かと見間違えるほどの「CG」は数えきれぬほど見てきましたが,今回はその逆でした.そして,古館さんに以下のように返信しました.



私の眼は見ている映像がCGであるのか,実写であるのかの区別はつかなかったわけです.YouTubeにある古館さんの映像には「水の波紋のクローズアップの映像でしょうか?」というコメントが書かれているので,その人には「実写」に見えたわけです.私が「CG」として映像を見た理由は,映像そのものにも起因しますが,その映像がIAMASに展示されていたこと,そして古館さんの経歴から判断したところも大きいのかなと思います.あと,展示場所にあったMac Proの存在.しかし,Mac Proがあるからといって,それはリアルタイムで映像を生成するだけでなく,記録された実写も再生します.

「生成」と「再生」.そのどちらもコンピュータ内では演算処理されるという意味では違いはないような気がします.《Macro / Dynamics》を見るとき,それが「実写」であったとしても一度は「演算」を介します.その先をさらに考えるとそこに「カメラ」があり「レンズ」があって,現実の事象が現れてきます.「演算」の先にある世界と「演算」とともにある世界.このように違いを求めることに意味があるのでしょうか?

私の眼は《Macro / Dynamics》の映像に意味を見出そうとして,結局見つけられなかった.その結果,その「意味の見出だせなさ」をコンピュータ生成の映像がヒトに投げかけてくる問題として,「ヒトがそこに意味を見出すようにならなければならない」という考えに至りました.しかし,私が見ていたものは「実写」でした.「実写」だと分かれば,それは「水のクローズアップ」のようにも見えます.現実とのつながりがいきなり生じて,何かを映しとったもののように見てしまいます.でも,「水のようだ」と見ることに何の意味があるのかというと,そこにはCGの先に「演算」を見出すよりも,意味がないような気がします.「水のようだ」というメタファーに留まってはだめなのでしょう.その先を考えると,そこには物理法則などの「規則」がでてきます.ここで「実写」を「CGのようだ」と捉えても,それもまたメタファーに留まることになります.

では,どうすればいいのでしょうか.「◯◯のようだ」というかたちで映像を見るのではなく,その先に「規則」を見出すように見ることが,ここでは求められているのではないでしょうか.それは藤幡正樹さんが10年前に「アルゴリズミック・ビュティー」というエッセイで提案していたことかもしれません.

CGの映像を見て,そこに演算の規則を見ようとして,それが実写だったとき,そのときCGは実写へと見ているヒトのなかで変わります.それは別のものとして見えるのではなく,CGから実写へと映像を受け取る意識が変っただけともいえます.でも,これら2つの映像は全くの別物です.似ているという観点からすれば同じようなものですが,その出自がやはり全く異なります.出自が違うとしてもその違いは「演算」と「(現実の)法則」という最近になってできたものです.そのようなあたらしい違いよりも,やはり見た目が似ているという古くからの基準を意識して,見まちがえてしまう.「演算/法則」を見ようとしても,ヒトの身体にしっかりと根付いている「見た目」に引き摺られてしまいます.

古館さんは「見た目」をトリガーにして,実写とCGとのあいだに「本質的な違いは無い」と提示して,私はそれに見事にハマったわけです.でもこれは逆説的に古館さんの試みが「見た目」を超えて,そこに「演算」を見せるものであったことを示しています.「実写」という見た目を超えて,そこに「演算」を見ようとしたのですから.「実写」に「演算」を見るということは倒錯したことかもしれませんが,これからの映像を考える際に「見た目」を超えた考えを行うことは必要なことであり,そこでは「演算」や「規則」という概念が用いられるはずです.自分の「見間違い」がこれからの映像を考えるヒントがありそうと,自分の見間違いを過大評価している感じですが… 

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