Petra Cortright わからない まあいいか!
Petra Cortright は1986年生まれ.まったく意味がわかりません.彼女のページにいくと,延々と下にスクロールしないとならないけれど,それには何の意味もなくて,ただ「↓」に従って,下にスクロールしていくだけ.と思ったら,スクロールは勝手にしてくれていた!
Petra はウェブカメラで自分のことを撮影して,そこにカメラ付属のデフォルトの効果を入れた映像を YouTube に投稿した作品《VVEBCAM》2007 で有名になったみたい.けれど,その作品は YouTube に削除されてしまっている.作品自体は,Rhizome で見ることができます.そこに解説があって,ウェブを見ているときの私たちの受動的な態度を...ということが書いてありますが,そんな説明をされても,やはりよくわからない.YouTube から削除されたのは,Petra がこの作品につけたタグが
Tags:
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Petra はイギリスで個展《Petra Cortright - Void Mastery / Blank Control》を開いていて,そこのプレスリリースには,「デジタル特有のもの」を探求しているとか,「今日の知的・美的な貧困」を表明しているなどと書かれている.知的・美的に貧困」と言っても,プレスリリースに書いてあるのだから,悪い意味ではなくて,そこに積極的な意味を見出していこうということだと思う.このふたつの言葉は,それぞれ違う批評家がいっていることだけれども,プレスリリースでこれをまとめて書いた人はおもしろいと思う.このふたつをつなげると,「デジタル特有のものは知的・美的に貧困」となり,とてもチェレンジングな感じになる.
Petra のウェブページにある沢山の作品を見ていると,画像の方は「デジタル特有のもの」を探している感じがして,動画の方は「今日の知的・美的な貧困」を現しているようにも見える.実はプレスリリースの区分けもそのようになっているので,この感覚は多く人が抱くことなのだと思う.けど,前に書いたように画像と動画の区分けもなくして,これらをいっしょくたにして,「デジタル特有のものは知的・美的に貧困」を考えてみたくなるのが,Petra の作品群のような気がしてきた.
私は「メディアの条件を問う」ような作品を考えることが好きなのだが,Petra が扱っているメディアが「インターネット」だとすると,「そこには『条件』なんてものはないですよー」とアッケラカンと示されているのが,Petraの 作品群のような感じがする.インターネットの「条件」を問うこと自体がナンセンスというか,「『デジタル特有のものは知的・美的に貧困』だとしたら,それでいいじゃないの!」みたいな感じだろうか.
とにかくPetraの作品を見ていると「底が抜けている」感じがする.だから,私には「わからない」のだけれど,それはそれで「まあいいか!」という感じにもなる.それでも無理して考えると,ここでの「無理」というのはあくまでも私だけに当てはまることだが,ウェブカムの作品で,そこで使われている「効果」や「素材」が「カメラ」に付属してくるってどういうことなのだろうかということや,彼女はデジタル特有なものを「ピクセル」単位では求めなくて,もっと大きな枠組み求めているのかなーとか考えてしまう.「もっと大きな枠組み」とは何か,と問われても今はわからないけれど… ずっとわからないかもしれけど… なんか「知的ゲーム」ではない,もっと底抜けに陽気なインターネット・リアリティーとアートがそこにあるような気がする.