君と僕とインターネット!

昨日,Twitterを見ていたら,バンクシーの映像が限定公開ということで見た.これはこれで面白かったけれど,見終えて,またTwitterをみたら,ちょうどバンクシーの映像を見始めたときぐらいから,インターネットのゴット,センボーさんも参加しての「君と僕とインターネット」の第2部が始まっていたらしい.諸般の事情でiPhone片手に「君と僕とインターネット」を見始めたときには,もう終盤.jepg はヒトをバカにしているとか,gifは完全に制御できるとか,拡張子差別とか,もう面白くて,興味深い言葉が連発でした.最初から見たかったと悔やみつつ,文字おこしして参照資料にしたい! この番組に集まった人たちの言葉というのはまったく資料になっていないので,このあたりの「感覚」を狩猟していくようなことをしていくことは,インターネットを考える上でとてもとても重要だと考えています.
というようなことをmemoに書いた.「画像形式」ということに関する感覚を集めていくことで,「インターネット」と一言で言われる大きなメディアのなかでの大きな物語を,SNSなどの「つながり」メインではない形で示すことができるのではないかと思う.gifとかjpegがインターネットで使われている以上,その前提には「コミュニケーション」ということがあって,「つながり」という目的に奉仕していることは確かなのだけれど,それでもこれらの画像形式を考えることで,今までは異なるかたちでインターネットのあり方を提示できると思う.その意味でも,昨日も含めて継続的にこのような話をしてくれている「君と僕とインターネット」(←CBCNETくりたさん(@yskkrt)とハギワラさん(@hgw)がだらだらと、最近のトピックやゲストをお呼びしての飲み会ustラジオ)は素晴らしいと思う.

このブログの人気の投稿

【2023~2024 私のこの3点】を書きました.あと,期間を確認しないで期間外の3点を選んで書いてしまったテキストもあるよ

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

始点と終点とを決めるという単純な規則に基づいた単純な行為

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

映像から離れていっている

出張報告書_20150212−0215 あるいは,アスキーアート写経について

「グリッチワークショップ」を見学して考えたこと

画面分割と認知に関するメモ

矢印の自立

アンドレアス・グルスキー展を見て,谷口暁彦さんの習作《live-camera stitching》を思い出しました