視線|フォーカス|意識:エキソニモ《The EyeWalker》から考えたこと

山口へ行ってきた.目的地は YCAM.体験した作品はエキソニモ《EyeWalker》(セミトラ《eyeFont》は視線入力の判定がシビアで私の目ではダメでした,残念).
エキソニモ 「EyeWalker(アイウォーカー) 」 
新作(YCAM委嘱作品)  2011|インスタレーション
視線の動きによって,視覚の跳躍を体験することができる作品.YCAM館内には,オブジェとなるビデオカメラ付きモニターが様々な角度で,距離を置いて配置され,体験者がいるブース内のモニターには,会場の風景が映し出されます.体験者が,モニター画面に映るオブジェを見つめると,その画面は,オブジェからの中継映像へと次々と切り替わっていきます.
本作では,「The EyeWriter」のソフトウェアを応用して,体験者が,モニター内のどのオブジェを見ているかを検出し,中継映像を選択しています.ブース内のモニターに映る映像に没入する体験者の視覚は,自らの視線が向くオブジェへと転移し,次々と展開されていくことになります.映像に囚われた私たちの没入感覚を極端に増幅し,現実の空間を次々に跳躍するかのような視覚をもたらす本作は,見る行為と自身の存在にある関係をも揺さぶります. 

作品を体験する前に書いたテキストで,《EyeWalker》は《↑》に通じるところがあるのではないかと思っていた.体験した今も,この2つはつながりがあると考えている.《↑》は有無を言わさない強烈な力で,体験者の意識を「現実|仮想」とのあいだで曲げてしまうような作用があると感じたのに対して,《EyeWalker》で感じたことは,確かに意識をモニターの中や外へ持って行かれるのだけれど,それがいつも「ちょっと手前」で起こっている感じがした.

「ちょっと手前」というのは,「意識のちょっと手前」という感じである.無意識というのではなくて,意識的に視線をコントロールしているけれど不自由さがあって思ったとおりできないという,なんとももどかしい感覚.まさに「隔靴掻痒」という感覚.画面の中のモニターを見るのだけれど,自分では見えていて,視界に収めているのだけど,視線はその枠を選択できていないので,それを選択しようとそこを見ようとする.見ているのにさらに一箇所のみを見つめようとする.見つめる先を,自分では見つめていると思っていても,システムには見ていないと判定される.見ているけれど,見ていないではなくて,見ていて,確かに見ているけれど,「選択」はされないということ.

「隔靴掻痒」の感覚のために,作品に没入するところまでは行かなかった.私よりも自由に視線をコントロール出来る人は,あっという間に没入できてしまう気がする.私自身も何回か体験しているうちに,視線入力がある程度自由に行えるようになってきて,没入感というのを多少は感じることができた.けれど,私にとって,この作品は没入のちょっと手前の感覚がとても興味深いものであった.

《EyeWalker》での自分の体験を考えていると,「視線|フォーカス|意識」という3つの言葉が浮かんできた.「意識が視線を対象にフォーカスさせる」「視線が意識を対象にフォーカスさせる」というどっちが先とも後とも言えない操作を,私たちは普段何の気なしにしているのではないだろうか.ある対象にフォーカスされた意識のもとで見た時には,視界はその対象を捉えており,厳密には視線はそれを選択していなくても,フォーカスが合っているように処理される.逆の場合もあって,何も意識していない状況で視線が対象を捉えてしまった途端に,意識が対象にフォーカスされる.これらの処理が自動的で行われている.このとき「視線|フォーカス|意識」の3つは,対象に対してオートフォーカスの状態にあると言える.

《↑》はオートフォーカスの状態を巧みに利用している.私たちがコンピュータを使う際に必ず意識と視線をフォーカスさせる対象であるカーソルを使うことで,オートフォーカス状態にある意識と視線を私たちの外側から強制的にコントロールしていると考えることができる.

対して,《EyeWalker》はどうだろうか.ここでは視線と意識のオートフォーカス状態はマニュアルに切り替えられている.体験者は,特別な意識を持たないと視線と意識をともに対象にフォーカスすることができない.オートフォーカスからマニュアルへの切り替えにともなって,視線と意識とのあいだにちょっとした乖離が生じる.それが見ること選択することのあいだのズレを生み出し,体験者を中途半端な状態に置く.《↑》は外側から体験者の意識をコントロールしていたが,《EyeWalker》は体験者の意識のちょっと内側から,無意識レベルといった深いレベルではなくて,意識の端の少し折り返したところから,体験者の意識を操作しているように,私は感じた.

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