スライド:情報美学概論A 第8回|身体的想像力
東京藝術大学 芸術情報センター:情報美学概論A
第8回 身体的想像力→レフ・マノヴィッチ|痕跡|マーク・ハンセン→スライド
メモ:コンピュータを前にした身体をめぐる想像力
参考資料
作品・映像
TypeTrace
Rigid Waves - Narcissus and Echo (1993) by Monika Fleischmann & Wolfgang Strauss
Liquid Views - Narcissus' Mirror (1992-93) by Monika Fleischmann & Wolfgang Strauss
Simon Penny - Designing Embodied Interaction: Aesthetic, Technical and Theoretical Issues
WORLD SKIN - a photo safari in the land of war - Maurice Benayoun
http://www.lozano-hemmer.com/videos.php?id=repositioning_fear
2048
書籍
The Language of New Media (Leonardo Book Series)
Critical Terms for Media Studies
Bodies in Code: Interfaces with Digital Media
ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! (ハヤカワ新書juice)
いきるためのメディア―知覚・環境・社会の改編に向けて
コメントのコメント
ライフログにおける「不死」は,もちろん文字通りの不死ではない.けれど,ヒトのかたちがかわってもいいということを受け入れれば,それもまた文字通りの不死になっていくのではないだろうかと思っている.というよりも,「死」という概念が変わるのかもしれない.
記憶の中におじいさん,おばあさん,太郎が居続けることと,デジタルデータで彼・彼女が居続けること.それは同じなのかどうか.記憶と記録というありきたりな問いのような気もするけれど,記録の量がある閾値を超えたときに,記憶とはまた別の意味で,そこに膨大な量の記録があることの意味が変わってくると思われる.膨大な記録と鮮明な記憶とがお互いに共生していくようになったときに,そこにあるのは何なのであろうか.
Google earth を使っているときと実際にそこを歩いているときの身体イメージと身体スキーマとのあいだにあるズレというのは,とても重要なことだと思います.3人称的視点と1人称的視点とのあいだのズレとも言うことができるこのことが,コンピュータという「他者(2人称)」が出てきたことで生じてきたことの意味を考えてみたくあります.
プログラムは「予め書く」ことです.予め書かれたことをなぞる中で,私たちは自然と他者の精神構造に同一化しているのかもしれません.他者というのはプログラムを書いた個人である場合もあるだろうし,個人を超えたといういか,その集合体である google とか,apple なのかもしれません.
ヒト単体では把握することができない膨大なデータを生み出しているコンピュータ.データ自体を生み出しているコンピュータを利用して,そのデータを解析して,新たなデータを作り出す.今回紹介したレフ・マノヴィッチは,Youtube などの膨大な画像をデータとして処理するなかで,現在の映像のあり方を探求しています.
終えて
ハンセンの英語は難しい.
コンピュータを介して生成されるヒトの痕跡=ログが,ヒトに対して異質なものになるという認識をもつこと.自分から生じたログが「他者」になることを受け入れること.そのログとの距離を測ること.
第8回 身体的想像力→レフ・マノヴィッチ|痕跡|マーク・ハンセン→スライド
メモ:コンピュータを前にした身体をめぐる想像力
参考資料
作品・映像
TypeTrace
Rigid Waves - Narcissus and Echo (1993) by Monika Fleischmann & Wolfgang Strauss
Liquid Views - Narcissus' Mirror (1992-93) by Monika Fleischmann & Wolfgang Strauss
Simon Penny - Designing Embodied Interaction: Aesthetic, Technical and Theoretical Issues
WORLD SKIN - a photo safari in the land of war - Maurice Benayoun
http://www.lozano-hemmer.com/videos.php?id=repositioning_fear
2048
書籍
The Language of New Media (Leonardo Book Series)
Critical Terms for Media Studies
Bodies in Code: Interfaces with Digital Media
ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! (ハヤカワ新書juice)
いきるためのメディア―知覚・環境・社会の改編に向けて
コメントのコメント
ライフログにおける「不死」は,もちろん文字通りの不死ではない.けれど,ヒトのかたちがかわってもいいということを受け入れれば,それもまた文字通りの不死になっていくのではないだろうかと思っている.というよりも,「死」という概念が変わるのかもしれない.
記憶の中におじいさん,おばあさん,太郎が居続けることと,デジタルデータで彼・彼女が居続けること.それは同じなのかどうか.記憶と記録というありきたりな問いのような気もするけれど,記録の量がある閾値を超えたときに,記憶とはまた別の意味で,そこに膨大な量の記録があることの意味が変わってくると思われる.膨大な記録と鮮明な記憶とがお互いに共生していくようになったときに,そこにあるのは何なのであろうか.
Google earth を使っているときと実際にそこを歩いているときの身体イメージと身体スキーマとのあいだにあるズレというのは,とても重要なことだと思います.3人称的視点と1人称的視点とのあいだのズレとも言うことができるこのことが,コンピュータという「他者(2人称)」が出てきたことで生じてきたことの意味を考えてみたくあります.
プログラムは「予め書く」ことです.予め書かれたことをなぞる中で,私たちは自然と他者の精神構造に同一化しているのかもしれません.他者というのはプログラムを書いた個人である場合もあるだろうし,個人を超えたといういか,その集合体である google とか,apple なのかもしれません.
ヒト単体では把握することができない膨大なデータを生み出しているコンピュータ.データ自体を生み出しているコンピュータを利用して,そのデータを解析して,新たなデータを作り出す.今回紹介したレフ・マノヴィッチは,Youtube などの膨大な画像をデータとして処理するなかで,現在の映像のあり方を探求しています.
終えて
ハンセンの英語は難しい.
コンピュータを介して生成されるヒトの痕跡=ログが,ヒトに対して異質なものになるという認識をもつこと.自分から生じたログが「他者」になることを受け入れること.そのログとの距離を測ること.