コンピュータを前にした身体をめぐる想像力

レフ・マノヴィッチは,コンピュータと向き合う身体は囚われていると考える.それは,遠近法から映画へと続く,西洋の表象システムの伝統である,マノヴィッチは指摘する.ただ今までと異なる点があり,それは身体が動かなければならないということである.コンピュータの前の身体は,囚われつつも,動かなければならないのである.

さらに,マノヴィッチはコンピュータにおけるインタラクティヴィティはトートロジーであると考える.そして,ヒトとコンピュータとのあいだの字義通りのインタラクティヴィティを考察する際に,私たちはそこに物理的なやりとりを超えて,イメージを用いた精神の外面化をどうしてもみてしまう.それは西洋の表象システムの伝統でもあると,マノヴィッチは指摘する.

西洋の表象システムの伝統から,マノヴィッチは一方でコンピュータの前の位置する身体は囚われていると考え,もう一方で,コンピュータとのやりとりはヒトの精神を直接イメージとして外在化されていると示す.コンピュータの前にある身体は,一方で囚われの身であり,一方でその存在が忘却されている.ただどちらにおいても,身体は,動かなければならない.

このマノヴィッチの論から,コンピュータの前に位置するヒトの身体の状況をどう考えればいいのであろうか? 私は次のように考えてみたい.コンピュータの前では,ヒトの身体はその存在が忘却され,消滅されつつある.しかし,コンピュータは自らの存在のためにヒトの身体を完全に消滅させるのではなく,「囚われの身」という多くの自由を奪うかたちで,ただ動き続ける存在として存続させ続けている.

マーク・ハンセンは,マノヴィッチが「映画」のメタファーに縛られていると批判する.そこには,身体が「囚われの身」であることに対する批判もあるのではないだろうか.ハンセンはデジタル・メディアの前にある位置するのは「コードの中の身体」だと考える.コードの中での身体においては,身体スキーマと身体イメージとのあいだに乖離が生じると,ハンセンは指摘する.ハンセンが「身体スキーマ」と呼ぶものは,私たちが身体に対する観念みたいなものだと思われる.デジタル技術によって,変幻自在に変化する身体イメージは,私たちが抱く自らの身体スキーマを超えるような存在になる.このことを示すように,ハンセンは鏡や影をモチーフとして身体イメージを用いた作品を取り上げて,そこにリテラルな意味で「コードの中の身体」が表現されていることを示す.

しかし,ここでハンセンが取り上げている作品における身体イメージのすべてが,身体のかたちをしていることは考えなければならない.なぜなら,コンピュータにとっては,ヒトの身体スキームと身体イメージが同一なものである必要なく,それゆえに身体スキームを別のかたちで示す可能性をヒトに与えているからである.それでもなお作品中の身体イメージがヒトのかたちをしているのは,あくまでもそのかたちにこだわっているヒトの都合にすぎないのである.

コンピュータの前でヒトの身体は「消滅」するのではなく,動き続ける存在として存続させられながら,コードの中で変幻自在にかたちを変えられるようになっている.だから,身体イメージが「身体」のかたちをしていなくても,カーソルのように「↑」でもいいのである.「↑」として動き回っているうちに,身体スキーマもまたその環境にフィットするように移植されうるのである.ここでは,身体は自らの「かたち」というコードのから離れた,ひとつの「(座標)データ」として存在するようになっている.

「データ」として動き続ける身体を,身体イメージに頼ることなく表現した作品として dividual《TypeTrace》2007 がある.この作品では,タイピングがトラッキングされる.そして,キーを打つ時間に応じて,スクリーンに表示される文字が大きくなっていく.スクリーンには身体イメージが映されることなく,そこにはただ文字があるだけである.しかし,そこにヒトの気配を感じてしまう.それは,データとして存在することを受け入れた身体があったという痕跡の集合なのである.



《TypeTrace》は,思考を外在化させるコンピュータのインタラクティヴィティを否定することなく,身体を一度「データ」に変化させることを受け入れている.そして,そこから生じる新たな身体の痕跡の集合が,身体イメージに頼ることなく現されているのである.このことはどうしても身体イメージに囚われていたハンセンと彼の取り上げていた1990年代の作品には見られないことである.そしてまた,マノヴィッチのように「映画」に囚われていないことからも,この作品はコンピュータを前にした新しい身体的想像力だといえるのである.

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