IAMASの卒展に行ってみた
IAMASの卒展を見ていて,自分が求めているのが,「わからなさ」を含んだ「徹底的なわかりやすさ」なのではないかと思った.一目見て,ちょっと触っただけて有無を言わさずわかってしまうようなもの.例えば,須木康之さんの〈エスパードミノ〉は「徹底的にわかりやすい」と思う.けど,「ユビキタス」などの言葉で作者自身がしっかりと説明できるように,「わからない」部分がないような気がする.「わからなさ」なんてものは必要ないのかもしれないが,私が求めていたのは,わかって気持ちいいのだけれど,後から考えてみると,わからないところがある.でも,体験しているときは,そんなの関係なく,わかってしまうというなモノなんだと思う.
「わからなさ」を含んだ「徹底的なわかりやすさ」.それは,ただそこにあるものなんだと思う.それが何かを考えることもない.ただそこにあるもの.メディアとは何かと問いを立てるのではなく,ただそこにあるものとして接してしまうような態度.ヒトが作ったものだけれど,自然なものになっているもの.
卒展の帰り,何となく「↑」の写真を撮っていた.とても久しぶりのことだった.卒展では味わえなかった「わからないこと」を含んだ「徹底的なわかりやすさ」がそこに示されているような感じがしたからだと思う.
エスパードミノ |
卒展の帰り,何となく「↑」の写真を撮っていた.とても久しぶりのことだった.卒展では味わえなかった「わからないこと」を含んだ「徹底的なわかりやすさ」がそこに示されているような感じがしたからだと思う.