カーソルについての講義のコメントに対するコメント

カーソルは「身体の拡張」なのか,身体そのものなのか.拡張だとしたら,今までの道具と同じように感じだし,身体そのものだと考えると,なんか得体の知れないものだとも思える.私はカーソルは単なる身体の拡張では片付けることができないものだと思っています.道具が身体の拡張で外側に向かっていき,コンピュータは神経系の拡張で内側に向かっていくと言ったのは,マーシャル・マクルーハンですが,カーソルはそのどちらでもある.だから,身体の拡張でもあり,神経系の拡張でもある.神経の拡張ということで,拡張した身体に実感がともなう.それはもう拡張ではなく,身体そのものではないだろうか.たとえカーソルの形が「↑」という,ヒトの身体のかたちとはかけ離れたものであったとしても,そこにあるのは紛れもなく身体そのもの,コンピュータを前にしたヒトの身体のそのもの.スティーブ・ジョブスが iPhone の発表会で,ヒトの指が最高のポインティング・デバイスと言ったとき,カーソルはヒトの身体として承認されたのかもしれない.と同時に,画面かカーソルが消えた.画面上にあったカーソルが,身体に取り込まれていること.

私たちは身体の一部を突如,なんの痛みを感じることもなく失うことはできない.しかし,カーソルは失われる.痛みを伴わない消失.しかし,そこに痛みを感じてしまうこと.もちろん,実際の痛みとはことなる.でも,そこには確かに消失にともなう感覚が広がる.「痛み=傷み」として生じる「何か」.このような感覚に近いものを,以前,藤幡さんは「ヒューララ感覚」と呼んでいた.「ヒューララ」と「痛み=傷み」.字面はだいぶ違うような気がする.ユーモアあふれる「ヒューララ」とは異なる「痛み=傷み」.ただし,そこに何かしたら違和感があることにはかわりがない.

この違和感は,仮想と現実がひとつづきになっていることに気づくことだと思う.そして,仮想では私たちの身体は,現実にある身体のかたちをしていなくてもいい.かたちなんてなんでもいい.かたちなんて何でよくなってカーソルとなった私たちの身体が,再び身体を求めて,帰ってきても,そこで求められているのは身体ではなく,単なる「痕跡=ログ」を記すものである.

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