メモ:インタラクティヴィティとメタファー(2)

前に書いたメモ

「掴む」行為と「指し示す」行為とを組み合わせた「マウス+カーソル」から生じる新たなインタラクションに基づいて,0から新しい身体感覚を作り上げた.組み合わされたふたつの行為がヒトの基本的行為であることと,0からの立ち上げゆえに,GUIはヒトとコンピュータとの共進化の実験の場であり,その成功から共進化を促進したと考えれる.

メディアアートとコンピュータのユーザ・インターフェイスはともに,メタファーを使ってヒトの身体をコンピュータの論理世界を入れ込んでいった.その際に,メディアアートは慣れ親しんだ身体をそのまま用いたインタラクションを創造したのに対して,インターフェイスはマウスという新しい道具に対応した身体を用いた,新しいインタラクションを創造した.メディアアートは目に見えている身体行為をそのままコンピュータの世界に移行するためにメタファーを物理的インターフェイスに活用している.インターフェイスにおけるメタファーは,身体感覚の深層の領域,身体スキーマと呼べるような基本的な図式を,ヒトの世界からコンピュータの世界へと移行した.

メディアアートはヒトとコンピュータとのあいだの情報のあり方を「個別化」し,インターフェイスはそれを「汎用化」した.「個別化」といっても,それは元々のヒトの行為のあり方を,できるだけ現状を保ちつつ,コンピュータに移行させたもの.対して,GUI には,一度まっさらな平面を作り、そこから新しい驚きを作ろう,という感覚があるように思われる.つまり,「汎用化」は,マウスとカーソルという限定された道具環境で,ヒトが長いの歴史の中で蓄積してきた行為や感覚のあり方を一度0にすること.0から始めた結果.ヒトの行為とディスプレイ上のイメージを組みあわせ,様々な行為に適応させることができた.

メディアアートとユーザ・インターフェイスは常に交わっているから,今では,ユーザ・インターフェイスが「汎用化」した感覚を,メディアアートが「個別化」して示すことで,私たちが築くことが難しくなっている,コンピュータと触れ合っているときの感覚を呼び起こしてくれるようになっているのではないろうか.

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