メモ:1984年から1998年のあいだ
1984年から1998年のあいだ,ヒトとコンピュータとのインターフェイスはGUIから抜けだそうと,ユビキタス・コンピューティング,タンジブル・ビットというアイデアを実現していったが,それは研究レベルにとどまるものであり,一般に浸透するまでには至っていない.その間に,GUIは,Windows95 で爆発的に世界に広まっていく.
インターフェイスがGUIから抜け出せないあいだ,メディアアートは自由にインターフェイスを次々と創り出し,新たな「インタラクション」を形にして作品化していった.それの多くは「教科書」と名付けられた書籍に載せられている.ある意味この時期のメディアアートは,ヘッドマウントディスプレイを装着して,仮想世界と現実世界とを自由に行き来するといったような,大きな夢をもってきらきらと輝いていた「黄金期」だったとも言えるかもしれない.けれど,この時期のメディアアートにおける「現実世界」と「仮想世界」は,身体が存在する「現実世界」と探求すべき「仮想世界」とに明確に分離しており,それらがひとつに融合していっている2011年からみると,ある意味面白みのない世界観に思える.
「黄金期」の作品にあるのは,「仮想世界」とのインタラクションだけであり,決して「現実世界」に存在する私たちの身体には何も影響を与えていないのではないか.この時期のメディアアートは「仮想世界」をあらゆる手段で探索していたが,その間,多くの人はGUIやテレビゲームで,マウスや十字キーのコントローラといったメディアアートから見れば不自由なインターフェイスによる貧しいインタラクションで,「仮想世界」をその存在を意識することなく日常的に探索し始めていたと考えられる.この日常的な探索が始まったからこそ,メディアアートが特別な「アトラクション」として輝いたのかもしれない.
ネットはGoogle以前であり,まだ生態系が生じる前のカオスな状態であるともいえる.だからこそ新たな表現の場としてネットアートが盛り上がっていた.今ではもう見ることができない作品があることが,ネットアートの物質性の希薄さゆえの儚さを具体的に示すとともに,場所性がないがゆえに,どこでも,そして恐らく,いつでも見られるというネットアートの理念との齟齬を示していて興味深い.
インターフェイスがGUIから抜け出せないあいだ,メディアアートは自由にインターフェイスを次々と創り出し,新たな「インタラクション」を形にして作品化していった.それの多くは「教科書」と名付けられた書籍に載せられている.ある意味この時期のメディアアートは,ヘッドマウントディスプレイを装着して,仮想世界と現実世界とを自由に行き来するといったような,大きな夢をもってきらきらと輝いていた「黄金期」だったとも言えるかもしれない.けれど,この時期のメディアアートにおける「現実世界」と「仮想世界」は,身体が存在する「現実世界」と探求すべき「仮想世界」とに明確に分離しており,それらがひとつに融合していっている2011年からみると,ある意味面白みのない世界観に思える.
「黄金期」の作品にあるのは,「仮想世界」とのインタラクションだけであり,決して「現実世界」に存在する私たちの身体には何も影響を与えていないのではないか.この時期のメディアアートは「仮想世界」をあらゆる手段で探索していたが,その間,多くの人はGUIやテレビゲームで,マウスや十字キーのコントローラといったメディアアートから見れば不自由なインターフェイスによる貧しいインタラクションで,「仮想世界」をその存在を意識することなく日常的に探索し始めていたと考えられる.この日常的な探索が始まったからこそ,メディアアートが特別な「アトラクション」として輝いたのかもしれない.
ネットはGoogle以前であり,まだ生態系が生じる前のカオスな状態であるともいえる.だからこそ新たな表現の場としてネットアートが盛り上がっていた.今ではもう見ることができない作品があることが,ネットアートの物質性の希薄さゆえの儚さを具体的に示すとともに,場所性がないがゆえに,どこでも,そして恐らく,いつでも見られるというネットアートの理念との齟齬を示していて興味深い.