次の学会発表のためのメモ(10):3つの世界,間主[種]観的な映像,ヒト|データ|コンピュータ

3つの世界
ヒトはモノであると同時に意味を生み出す存在である.そのヒトがものごとを数量化して捉える考えを押し進めた結果として生み出したコンピュータ.コンピュータはモノであると同時にデータを生み出す存在である.ヒトとコンピュータという2つの存在が交錯することで新しい世界の関係性が生じる.
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ヒト|人工物|実世界
私たちは「人間の世界」「人工物の世界」「実世界」という3つの世界の相互作用の中に生きている.コンピュータは「人工物の世界」を作り出し,ヒトとのコミュニケーションの中で「実世界」をも再構成していく.ライフログはヒトの生態履歴をコンピュータのデータの流れにのせて「実世界」を変える.
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主観|間主観|客観
近代哲学が前提としてきた主観的なものと客観的なものの二元論が放棄されつつある.主観的,間主観的,客観的という3種類の知識の相互作用が考え始められている.この相互作用は,コンピュータというモノであると同時にデータを生み出す存在が構築しつつある3つの世界を捉えるために有効なのだ.
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間主[種]観的な映像
3つの世界の相互作用の中で主観的でも客観的でもない映像が意識される.各個体が「かつてそこにあった」ものごとからあるルールに基づいて要素を抽出する.その要素から「かつてそこになかった」にも関わらず,各個体が共有可能な最大公約数的なものを作り出す.これが「間主観的な映像」である.
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個のあいだの間主観的映像
私が世界をこう見るのなら,あの人も世界をこう見ているはず.この「見ているはず」の最大公約数的映像.これを機械によって,できるだけヒトの介入を無くす方法で表したものが,写真・映画.写真・映画がヒトの介入,つまり主観を排することで切り開いた新しい共有世界と,そこから生じる客観的世界.
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種のあいだの間主観的映像
ヒトが世界をこう見るのなら,コンピュータも世界をこう見ているはず.コンピュータが世界をこう見るのなら,ヒトも世界をこう見ているはず.そうならば,コンピュータが世界を見るように,ヒトが世界を見てもいいはず.ヒトとコンピュータという異なる種の最大公約数的映像による共有世界と客観的世界.
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生態履歴とデータとを重ね合わせた間主[種]観的映像
ヒトの生態履歴とコンピュータが生成するデータを重ね合わせる.ヒトの生態履歴をコンピュータが生成するデータの流れの中に入れ込むこと.ヒトが作り出しものでありながら,ヒトとは異なる形式で作動するコンピュータに自らの生態履歴を流し込むことで生じる共有世界と客観的世界を示す間主[種]観的な映像.
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ヒト|データ|コンピュータ
ヒトとコンピュータとは異なる種である.だが,この2つの種は,互いの中間にある数とそれから構成される映像によってコミュニケーションを行っている.ヒトは正確さを求めて数を扱い,その成果としてコンピュータを生み出した.コンピュータはすべてを数に変えることでデータ化し,それを映像化する.
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数の客観性と間主[種]観的な映像
数はヒトとコンピュータとの中間にあるがゆえに客観的である.数は表現をヒトから独立させる.そこにあるは美意識でも論理でもなく,ただ記録された数があるだけである.ライフログのおいて,コンピュータはヒトを数に置き換えていく.ヒトがデータ化される.データ化されたヒトが映像に再構成される.
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《断末魔ウス》における間主[種]観的な映像
《断末魔ウス》が示す間主[種]観的な映像は,マウスとカーソルという現時点で最もヒトに近いコンピュータのインターフェイスを対象にすることで,ヒトがもう死ねない存在になっていることを明らかにするのだ.そこには,データ化されたヒトがカーソルという矢印の形で映し出されているのだ.
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《タイプトレース》における間主[種]観的な映像
コンピュータがデータ化されたヒトの一度きりの生態履歴から複数の「かつてそこになかった」ものごとを作り出すことを,《タイプトレース》の間主[種]観的な映像は示す.ヒトはコンピュータを介して一度に複数の生態履歴のヴァリエーションを持てる世界に生きているのである.
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