ISEA2014のためのインターネットヤミ市の考察(案)_2

インターネットヤミ市をひとつのフォーマットとして考えると,リアルとネットとのあいだを行き来する展示フォーマットとしてAram Barthollの「Speed Show」とラファエル・ローゼンダールの「BOYO (Bring Your Own Beamer)」挙げられるだろう.Domenico Quarantaは論考「In Between」のなかで,オンラインの文脈をオフラインに持ち込むフォーマットとしてSpeed ShowとBYOBを取り上げて,以下のように書いている.

BYOBとSpeed Showは,何十ものイベントが世界中でオーガナイズされてミームように広がっていった.これらふたつのフォーマットは同じような特徴を示している.それは安く,早く,簡単にオーガナイズできて,レイブパーティーのようなアナーキな感じで楽しい感じがある.この2つのイベントはオンラインで生まれたコミュニティを集めようとするものであり,メンバーのあいだでの対話や意見交換を促すものである.そして.それらはアートをオンラインやアーティストのデスクトップに残しているが,同時にそれら自身がフィジカルな空間に現われている.それらはアーティストにとってとても興奮するオンラインの環境をつくるいくつかのモノとインターネットを打ち解けさせる.それは,コミュニティの感覚であり,DIY的アプローチであり,既存の社会的・制度的構造から外れたところでの機能するアイデアであり,そして,それらがパブリックな場であることである.(p.32)
In Between, Domenico Quaranta in Art and the Internet

ヤミ市と同様にSpeed ShowとBYOBもともに別のしかたで,これまでにない場をつくっていると言えるが,これらは全く同じなわけではない.ここではBOYBよりも直接的にネットとリアルとの関係を扱っているSpeed Showを取り上げて,ヤミ市との相違点を考えていく.その補助線として,Brad TroemelがBarthollについて書いた「In Us We Trust」をみていきたい.ToremelはBarthollを次のように評している.

Aram Barthollはテクノロジーを揺り動かしその眠りから覚ます示唆的な介入をしていくアーティストである.なぜなら,機能を持ち,その機能を果たしているモノでさえ,隠された異なる目的に関しては無頓着な状態によくあるのだから.アーティストが戦略として社会的加介入を用いると「破壊しようとする[subversive]」という言葉がよく投げかけられる.「破壊・打破[subversion]」はたいてい敵対的なものをもつものであり,「破壊・打破[subversion]」が起こるときはいつも何かが失われるのだが,Aram Barthollの作品は次のように問いかけてくる:「破壊・打破[subversion]」によって,みんながチャンスを得ることがあるだろうか,と.(p.72)
In Us We Trust, Brad Troemel in The Speed Book, Aram Bartholl

ここで注目したいのは「破壊・打破[subversion]」という語が使われていることである.ここでの「破壊・打破[subversion]」は「アートが社会に介入していく」という一般的な状況に対して使われているのだが,Bartholl及び彼の作品はその「破壊・打破[subversion]」なかでも特殊なものになるのではないかというのがToremelの考えである.なぜなら,Barthollにおける「破壊・打破[subversion]」では,その行為によって参加者みんながチャンスを得るものになっているからである.それは敵対者もいない,失うものもない別のしかたの「破壊・打破[subversion]」であろう.

ギャラリーとアートマーケットはネットとリアルの敵対するものとして考え,その上でそれぞれを和解させるような方策を取ってきたと考えられる.その和解の際には,どちらかに妥協があり,どちらかに取り込まれていくという感覚がある.今のところは取り込んでいく側はリアルの方が優勢だろう.しかし,Barthollにはどちらからが勝ち残るという感覚がない.それはどうしてなのだろうか.Barthollがネットとリアルに関する考え方を述べたインタビューを引用してみたい.

オンライン/オフライン,デジタル・アナログ,リアル/ヴァーチャルといったような古典的な組み合わせがありますが,私はそれらの意図については大抵の部分は賛成です.ただ,フェイスブックを使うことや,一日中テレビを見ること,山にハイキングに行くといった,あなたがしたり/しなかたったりすることはすべてはリアルなのです.それはすべて私たちがしていることで,私たちのリアリティなのです.しかし,私たちはリアルのストリートとチャットルールレットでは異なる社会的ルールを適応させています.そこでは匿名性や純粋に剥きだしな状態といった異なるレベルがミックスされて進行しています.リアル/ヴァーチャルは黒と白のように明確に分かれているような感じですが,そうではないのです.これらの世界は大部分が重なりあっています.ふたつの世界は互いに貫入しあっていて,もはや簡単に引き離すことはできません.(p.203)
Sizing Up Digital Spaces
An Interview with Aram Bartholl, Interview by Josephine Bosma
in The speed book, Aram Bartholl

Barthollリアルとヴァーチャルといった二項対立的な枠組みの意図は認めるが,2つの世界の大部分が重なりあった容易に引き離すことができなくなっているという別の認識も示している.二項対立を認めている部分がゆえに,Toremelのエッセイに「破壊・打破[subversion]」が出てくるのであろう.だが,二項対立だけで終わるのだけでなく,その重なりを考えるところはインターネットヤミ市に通じる部分を示していると考えられる.

BarthollによるSpeed Showは二項対立の先にある世界の重なりに書かれているといえるので,引用してみたい.

インターネット上のアートはいつも展示が難しい状況にある.インターネットはそれを体験するのに明らかにベストな場所なのだが,オンラインと接続したコンピュータを従来の展示会場に持ち込むことはいつも問題が生じる.Speed Showの展示フォーマットは,ネットアートをそれが自然に現れる場所:インターネットカフェに持ち込むことによって,この問題を迂回する.(p.83)
The Speed Book, Aram Bartholl

ネットカフェをひとつのバイバスにしてネットとリアルとをスムーズつなぐBarthollのアイデアの前提にあるのは,ネットとリアルとの重なり合いである.ネットとリアルが自然に重なっている場を探すことで,別の展示フォーマットを作成している.しかし,この展示フォーマットはブラウザで表示できる作品のためものであって,カスタムソフトウェアを使った作品や「オフライン」の作品は許されていない.この部分が二項対立の考えを残しているであろう.しかし,インターネットカフェをネットとリアルトが分かちがたく結びついた「場所」としてしてしまうアイデアは二項対立の先にあるものだと思われる.

対して,インターネットヤミ市はどうだろうか.ヤミ市は「インターネットカフェ」で行われるわけではない.それは日本と欧米のインターネットカフェのあり方が異なることも影響しているだろうが,ネットとリアルに関する考えが根本の部分で異なっていることがあると考えられる.インターネットヤミ市は「場所」からつくってしまう.それは誘われた場合もあるが,秘密結社IDPWは「秘密結社」であることを活かして「インターネットを降臨させる場」をつくる.「あえて人と人とが直接プロトコルする、そんなフリマを開催します! インターネットに病み(ヤミ)続けるぼくらに、手と手の触れ合う生あたたかいデータを直リンク!!」できる場をつくって,そこにインターネット自体を降臨させる.IDPWはネットカフェという既存の場にネットアートを迂回させるのではなく,リアルにインターネットを降臨させられせそうな「余白」を見つけ出し,そこに降臨させる場をつくり,インターネットヤミ市を開催する.それはネットとリアルを結ぶバイパス=リンクをつくるのではなく,ネットとリアルとを検索・置換直リンクしてしまう感覚なのである.

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