シンポジウムのためのメモ_#BCTION #10F/to.beについて
日曜のシンポジウムに向けて,画像について考えているのですが,そんなときにexonemoの「#BCTION #10F」がはじまったりして,それを体験していたら,少し前から考察したいなと思っていた「to.be」というサービスを思い出して,その紹介ビデオを見たり,体験したりしている.
「#BCTION #10F」は3枚までの画像をコラージュしていくもの.「#BCTION」というハッシュタグをつけられてInstagramに上げらていく画像.そこにはInstagramらしさがある画像がたくさんあるというか,InstagramにあげられるとそれだけでInstagramフィルターがかかるか,画像は変化する.それらをコラージュしていく.3枚の重ね順とか透過のさせ方とかは「shuffle」ボタンを押すだけであとはお任せ,できたらツイートするだけ誰でも参加できて,それがまたコラージュされていく.千房さんもFacebookで書いていたけれど,アーティ・ヴィアーカントの「イメージ・オブジェクト」のように画像はリアルの会場とはちがうものなのだけれど,会場を意識してしまう.ただ,僕は「#BCTION #10F」をやろうとして画像を見ているので,リアルの会場への紐付けはあまり感じなかったところが興味深い.3枚の画像でどのようにコラージュをつくるのかというに意識が向かっていたように思える.会場を見てきたら,また意識が変わるのだろうか.
ちかごろ「調整レイヤー」の機能がネットとリアルとをつなぐひとつ方法論になるのではないかと考えいたりします.その下にある複数のレイヤーに対して非破壊的に変更を加えることできる「調整レイヤー」.それ自体はピクセル情報もたずに下のレイヤーとの「ちがい」しかもたないレイヤー.
今回の「#BCTION #10F」説明文には,
「BCTIONビルの10階はインターネットだ」という妄想にもとづいて,ハッシュタグの上でおこなわれる展覧会. 誰でも参加できるハッシュタグという仕組みは,同じく誰でも参加できるストリートと等しい条件を備えている. 街の風景を「描き変える」ことから始まったストリートアート. ネット上にあふれるBCTIONのイメージをREMIXして,ネットならではの新しいBCTIONを生み出すことを目指す. 現代のストリートとも言えるインターネットを通じて,リアルとは何かを探ります.
と書かれていて,10階に位置するインターネット=「#BCTION #10F」が「調整レイヤー」の役割をして,リアルの展示とInstagramの「#BCTION 」の流れを非破壊的に変更していく.
解釈する間もなく次々に流れていく画像見ながら,自分でもいくつか画像をつくりながら,どんどん複雑になっていくリアルとネットとの関係を楽しみつつも,その流れが早くて追いつけないよという感じです.
展示会場のオブジェクトはすぐにイメージになってInstagramに上げられて,Instagramという「調整レイヤー」がリアルと画像そのものの意味に影響を与えつつ,そこからさらに「#BCTION #10F」でコラージュが行なわれて,イメージは変わっていく.そのイメージを見てから,会場に行ってオブジェクトを見て,先に見ていてイメージの印象が変って,自分でInstagramでそこのオブジェクトの画像を上げたら,誰かが「#BCTION #10F」でコラージュに使って画像をつくったら,もともとその画像をあげた人がその画像をその場でスマートフォンで見たりして,さらにコラージュが行なわれていくような感じは,イメージとオブジェクトがぐるぐるとその状態を遷移させていっていると言えるかもしれない.こんな状態のイメージとオブジェクトの実験みたいなものに,誰もが参加できるという状況も興味深いし,みんなが参加しているからこそ,イメージとオブジェクトが次々と入れ替わったり,流れて行ったりするわけです.
to.beだって,静止画があって,そこにペイントできるのはいいとして,GIFがあって,YouTubeなどの動画があって,さらにSoundcloudまであったりして,もうありとあらゆるものをコラージュできてしまって,最後はTシャツにすることもできてしまう.そのとき動画は静止画になるけど,それまで動画とGIFは動き続けているわけですから.すべてがイメージとして扱われている感じもするし,オブジェクトして扱われているような感じもするし,そもそもイメージとオブジェクトって何でしたっけという感じにもなる.