「私」⇄「あなた」⇒「四人称」

「YouTube」では「私」が「あなた」となり.「Wii」で「私」が複数となって拡張していき「あなた」を呑み込んでいく.コンピュータを介すことによって,「私」と「あなた」の絶え間ない入れ替えが行われていく.さらに考えると,「YouTube」で「You」と呼ばれるのがヒトだとすると,ここでの「I」は,コンピュータによって構築されるシステムということになる.「私」=コンピュータは,いつでも「あなた」=ヒトを受け入れますよという状況が発生している.複数の「私」がシステムである「私」を作り上げ,「あなた」になる.ここでは,今まで確固とした中心であった「私」がひとつの「あなた」になっていると考えられる.そしてまた,個々の「あなた」となったヒトがシステムである「私」を通して,別の誰かと結びつき複数の「私」となり,それが再びシステムを介してその中の「あなた」になるといった感じで,コンピュータを介して,ヒトとの結びつきを繰り返す中で「私」と「あなた」を絶えず行き来して,その領域を拡張しいった結果として,そこには外部がない「四人称」的意識が生じると考えられる.

このブログの人気の投稿

メモ:「貧しい画像」はもうない

2046年の携帯電話と2007年のスマートフォンのあいだにある変化(1)

インターフェイス再考:アラン・ケイ「イメージを操作してシンボルを作る」は何を意味するのか.

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

「非-用具的道具」?

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

ポスト・インターネットで途方にくれないためのメモ

カーソルと分身

アンドレアス・グルスキー展を見て,谷口暁彦さんの習作《live-camera stitching》を思い出しました

2024年の振り返り