昼下がりに名大の図書館で考えたメモ

プロジェクション.モノにイメージを重ねる.イメージのモノ化.スーパーフラットとは全く異なる文脈ではあるけれど,問題になる「平面性」.

スクリーンを横からみたら,そこに何が映っているのかわからない.イメージが消失して,スクリーンというモノが現れる.

スクリーンという極薄の存在.それはデュシャンが言うアンフラマンスに近い存在なのもしれない.スーパーフラット,アンフラマンス,オーバーラップウィンドウ.日本,フランス,アメリカ.結局,日本だけではない問題になる.

スクリーンは横から見ることができる.カーソルは横から見ることができない.その裏側もみることができない.でも,そのカーソルもイメージとモノとのあいだにある存在である.

データと身体とのあいだ.イメージとモノとのあいだ.イメージとモノとのあいだにあるプロジェクションとスクリーンというセット.

スクリーンとプロジェクションのセットと,マウスとカーソルのセットはなんとなく関係が似ている.モノとイメージ.触れるモノと見るイメージ.

重なるウィンドウになったときにカーソルは,それぞれのウィンドウのあいだを行き来するという機能を得た.メタレベルを得た.

メタメディアとしてのコンピュータと,あらゆるものにイメージを投影できる液晶プロジェクター.

今,iPhoneとキーボードを使ってテキストを入力している.アイビーム,もしくはカーソルが点滅し,ここに文字を打ちますよ,あるいは打ってますよということを示している.私たちの注意をひくカーソル.私たちの注意をひく記号はすべてインデックスである.

カーソルがある平面.カーソルは浮いているのかどうか.平面の重なり.イメージとモノとの重なり.平面が立体にピッタリと寄り添うようになること.別の見かけを得ること.

《Beyond Pages》では,机に上から本のイメージが投射されている.本のイメージは,机というモノと寄り添うことによって「触れる」ことができるモノになる.私たちはペンのようなモノを使って,本をつつく.そうすると,イメージが変化する.ページをめくるのではない.ページをめくったかのような感じするだけ.めくっていないの,ページがめくれる.自分の行為の帰結を理解する.

ここでの「理解する」とはどういうことだろうか.私はペンで本をつついた.でも,そのとき,その本が本当の本ではないことを知っている.本ではないというよりも,モノではないということを知っている.おそらく小さい子供でも,そこにあるのがモノではないことはわかっているはずだ.このモノではないということが,ペンでつついた後の出来事を理解するための助けとなる.本ではない,でも,本である.本であるならば,ページはめくれる.でも,それは本ではない.めくるという行為ができない.でも,それは本である.そんなこんなで,ペンでつつくとページがめくれるかのような出来事がおこる.「ペンでつつく→ページがめくれる」という出来事が一度起こる.そのとき,目の前にあるのが本のようで本でない,モノのようでモノではない何かであることから,実際に起こった出来事を受け入れる.たぶんそれは本のような何かなんだとして受け入れる.

ここでは出来事の真偽はその都度決まっていく.それはモノではない,イメージである.同時に,モノに投影されているために,ペンでつつくことはできる.そのときその場で生じるコミュニケーションが,ここでの出来事を理解していく全体的な意味のつながりを作り出していく.

私たちが知っていることを利用すること.本は机の上うえにあるものであり,たまには本はペンで書き込みを行うこと.これらの行為を,この作品は,藤幡は期待している.インタラクションを成立させる外側の情報に目を向けて見ること.藤幡の作品は,この外側の情報が精密に作り込まれている.

では,その作り込みのなかで「平面性」はどのような役割を果たしているのであろうか.藤幡は,トランプなどの平面は,立体との行き来を行いやすいと述べている.たしかに,トランプはシンボルを表す平面として機能しながら,私たちの手にあるひとつの立体でもある.モノの平面は立体とのあいだを行き来するという.では,映像での平面は.それはいつまでたっても,どこまでもいっても平面なのだ.それは,GUIでのオーバーラップウィンドウが示すように,重なりはするが立体にはなり得ないものとしてあり続ける.平面が平面のまま重なり,平面のままでありつづけること.上から見ると確かに重なっているのにも関わらず,机の上にプロジェクションされたイメージを横からみても,見えるのは机の厚みだけである.

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