「しょうがなくモノがある」

ではその判断はどうするのか.会社経営者である猪子氏に話がふられた.猪子氏はまずは「うち? うちはよく分からないよ(笑)」と受けたが,これからのものづくりについて,「ネットは今まではたまたまPCのブラウザ空間だけに閉じられていた.けれど今は『すべてネットの一部』という感じでものを作る時代になっている.『たまたま人間が物理世界にいるから,しょうがなくモノがある』,そういう感じで作っているのではないか」と語った.物理的な存在である人間に対してネットサービスを提供する上で,物理的接点を与えるために仕方なくモノが必要なんだという考え方だ.
既存のハードウェア会社はこれまで,モノの延長上に,ネットのサービスを付加するという形で作っていたが,そのような作り方・考え方とは「ベースの思想が圧倒的に違う」モノづくりが必要になっている.「モノをつくっている延長にネットサービスを考えるのと,ネットの先に,仕方ないからモノがあると捉えるのとではぜんぜん違う.ソフトの人とハードの人じゃプロセスも違う」からだ.実際に,アップルではiTunesが設計されて,その先にiPodがある.「優先順位,順番が違う」
【森山和道の「ヒトと機械の境界面」】 これからの日本のものづくりに必要なものはテンション!? ~第一回インタラクションデザイン研究会レポート
猪子さんが言っている「たまたま人間が物理世界にいるから,しょうがなくモノがある」という言葉がとても気になった.「しょうがなくモノがある」,これまでとは異なるモノへの視点ではないだろうか.モノはあって当たり前ではなかったのか.

猪子さんの言っている iTunesiPod について,『iPod は何を変えたのか?』からいくつか引用.
このデジタルハブ構想の最初の製品となったのが,ビデオカメラの映像を簡単に編集してホーム・ムービーを作成できるアプリケーション,「iMoive」だ.iMovieは初心者向けソフトとしてはアドビの製品よりずっと優れており,メタル調の外観と直感的なインターフェイスも,既存の動画編集ソフトとは比べものにならないほどクールだった.「そのiMovieが後のiTunesを含む一連のソフトの開発に繋がり,そのiTunesが,後にはiPodの開発につながっていたんだ」とジョブズは言う.(pp.80-81)
だがデジタル・ジュークボックスは,どれだけ洗練されていようと,極論すれば「ただ便利なだけ」のソフトだ.実際に音楽を再生する装置がお粗末だったら,そのことに大した意味はない.自分が心から愛する曲をコンピュータに貯め込んで,コンピュータに繋いだ貧弱なスピーカーで鳴らしたところで,曲に合わせて踊ることもできやしないのだ
それなら,コンピュータの外で音楽を聴く手段を用意すればいい.デジタルハブ戦略の中で動画を受け持つiMovieはビデオカメラと連動し,写真相当のiPhotoはデジカメと連動する.そこでiTunesの開発チームもこれと同じように,当時市場に出ていた他社製のMP3プレイヤーとの連携機能を追加した.だがこれらの製品を試してみたアップルの上層部は,ひとつの結論に到ることになる.
どの製品も例外なくゴミのような代物だ,と.(pp.87-88)
iTunesの機能性と使いやすさを,ポケットに入る大きさの製品に詰め込む.(p.89)
契約に同意したファデルは,自分に与えられた仕事が,iTunesと連携する「まともな」MP3プレイヤーの開発だと教えられた.MP3プレイヤーとは,本質的には小さなコンピュータそのものだ──視覚的インターフェイスを通してユーザーの操作を受け付け,収録曲を表示するためのデータベースを動かし,デジタル形式のファイルからジミ・ヘンドリックスやヨーヨー・マのCDで聴けるのと同じ波形を再構成するために高速のデコード演算を行う.(p.93)
シラーは後に,このアイディアを思いついたのは,ジョブズとルビンシュタインと三人で打ち合わせをしていたときだったと語ってくれた.「他社のMP3プレイヤーはどれも小さな『+』ボタンと『−』ボタンがついていて,押すたびに一曲分スクロールできるようになっていた.でも僕らは一千曲保存できる製品を作ろうとしてたわけで,ボタンを千回押したりはできないだろう? だから,押すんじゃなくて回してみたらどうだろうと考えたんだ」(p.99)
ここでいったん,当時アップルが目指していた製品の姿をまとめておこう.まず小型ハードディスクの採用で,「ポケットに入る」という最初の条件を容易にクリアする,コンパクトな本体サイズを実現する.また高速なファイヤーワイヤー規格を採用することで,従来のプレイヤーの大きな難点だったデータ転送速度の遅さを解決し,一瞬で曲を転送できるようにする.スクロールホイールと,その性能をフルに引き出すソフトウェアの組み合わせで,高い操作性を実現する.さらにマックに最初からインストールされたiTunesソフトウェアの音楽ライブラリと自動的に同期し,いわば屋外用のiTunesとして機能することを目指す.そしてアップルの誇るインダストリアル・デザイン・チームが,これを圧倒的な美しい製品にまとめあげる.これこそ,パーフェクトな製品を生み出すためのアップルのレシピだった.(pp.99-100)
そしてジョブズの場合は「ユーザー・インターフェイスの設計段階で,その瞬間が訪れた」のだという.「僕らはすでにホイールを使うことを決めてたから,それを前提にメニューのレイアウトに取りかかり,ああだこうだと議論しながら,一週間ぐらいかけてそれを形にした.できあがったインターフェイスを試してみると,メニューやリストを思った通りに移動できるし,ホイールも完璧に動作していて,インターフェイスの基本コンセプトがしっかり成立している.これなら一千曲分のリストを自由自在に操れるって確信が持てた.ポケットに一千曲が収まったところで,その中からお目当ての曲を簡単に見つけ出せなかったら大した意味はないからね.このインターフェイスが完成したときは,『なんてこった! こいつはとんでもなくクールな製品になるぞ』って思ったもんさ」.(p.114)
アップルは,まず使いやすい音楽管理ソフトとして iTunes を作って,それを外に持ち出す,言い換えると,モノとして存在させるために iPod を作った.ここで規準となっているのは,ソフトウェアである iTunes の使いやすさである.ソフトの使いやすさをモノに与えることが,iPod の一番の目標であった.現実の世界では今まで実現していなかった1000曲を管理することを可能にするソフトウェアを物理的なモノとして存在させること.それは,まさに,猪子さんの言う「「たまたま人間が物理世界にいるから,しょうがなくモノがある」状態である.

アップルはしょうがなく存在することになったモノを,ソフトウエアとの緊密な連携によって使い勝手のよいものに変えていこうとする.それがホイールの採用となって現れている.曲の選択に「押す」ではなく「回す」という行為を採用すること.ここではさりげなく,そしてあっさりとヒトの行為が変えられている.この行為の変更の発端は,1000曲を管理するというソフトウェアである.ソフトウェアがハードウェアを変え,ハードウェアがヒトの行為を変える.

そして,アップルが卓越しているのは,ヒトの行為を変える際には,モノの美しさや手触りの気持ち良さが重要だと気づいているところだ.モノの美しさや手触りなど,機能とはあまり関係ないような付加価値のようなところがあるからこそ,ヒトは今までとは異なる行為を,「つい」受け容れてしまう.「気を逸らす」とまで言うと言い過ぎかもしれないが,なんとなくそれらに注意がいっている間に,あまり意識することなく新しい行為がするすると自分の身体に入り込んでくる.(レフ・マノヴィッチは「Information as an Aesthetic Event」というテキストの中で,デジタルの世界では「形態は機能に従う」のではなく,「形態は感情に従う」と書いている)

猪子さんの話から iTunes と iPod のことを調べているときに,『Software Studies』という用語集の中で,デンマークの Søren Pold はインターフェイスのそこかしこにあるアイコンを「ボタン」と称して短いテキストを書いていることを思い出した.そこに,iPod に関して次のような記述がある.
事実,クリックホイールは,どのようにしてソフトウェアボタンが徐々にハードウェアになったのかを教えてくれる.クリックホイールは,ソフトウェアの特定の機能をコントロールするためにデザインされた iPod 上のボタンである.このようにソフトウェアをハードウェアへとモノ化していくこと.ソフトウェアボタンがハードウェアへと移行していった他の古い例は,マウスそのものであったり,音量調整やホームや検索など OS の様々な機能のためのコンピュータ上のボタン,キーボード上のF1-F12のファンクションキーがある.[In fact the ClickWheel points out how software buttons have increasingly become hardware. The ClickWheel is a button on the iPod hardware designed to control specific function of the software, thus materializing the software into the hardware. Other and older example of software buttons migrating back to hardware are the mouse itself, buttons on a computer for controlling sound volume or various functions of the operating system (home, and, search) or the function buttons (F1-F12) on the computer Keyboard. (pp.34-35)]
Pold も猪子さんと同じように,ソフトウェアとハードウェアとの行き来を問題にしている.そして,マウスもソフトウェアとハードウェアとの間を行き来するボタンのひとつの例として挙げられている.たしかにマウスも,ソフトウェアがあってはじめて機能するモノのひとつである.画面上のあるカーソルと連動して,マウスははじめて機能する.しかし,Pold はカーソルについては言及しない(クリックホイールによるインターフェイスを絶賛するジョブスもそうかもしれない).

ソフトウェアをハードウェアに物質化したモノとしてマウスが存在しているのなら,ハードウェアをソフトウェアにした「モノ」としてカーソルがあるのではないだろうか.つまり,カーソルはヒトの一部である手を「物理的存在」から解放した「モノ」と考えることができる.マウスも iPod もソフトウエアの一部として機能するモノである.だが,それらは物理的存在であるヒトに付き合って,物質的に存在している.だが,カーソルはヒトの身体をソフトウェアの一部として取り込んで,機能させているのだ.

身体にこだわりすぎなのかもしれない.カーソルは,何かしらのハードウェアをソフトウエアに取り込んだだけと考えるのがいいのかもしれない.いやいや,もしかしたら,なにかしらのハードウェアと接点があると考えること自体が,私の思考がモノに縛られているのであって,カーソルはそもそもハードウェアとは関係ナシに存在しているのかもしれない.そこにマウスがたまたま登場して,「しょうがなく」くっついただけなのかもしれない.

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