次の学会発表のためのメモ(7):「あいだ」の映像



この映像は,マジックマウスやトラックパッドにいろいろな設定ができるソフトウェア「BetterTouchTool」にある「Live view」という機能を使っているところをキャプチャーしたものである.「Live view」は,見ての通り,マジックマウスやトラックパッドで指が触れている状態を可視化してくれるものである.だが,私たちはここで何を見ているのだろうか.

このブログで見ている映像は,私が自分のMacBookで「Live view」を使っているところを,QuickTimeでキャプチャーしたものをYouTubeにあげたものである.ここには3つの映像の段階がある.ひとつ目は「Live view」の文字通りのライブ映像.ライブ映像をQuickTimeでキャプチャーした記録映像.そして,記録映像をYouTube用に変換した映像.3つの段階があると書いたが,ここにあるのは,映画やテレビといった映像メディアが示していたライブ映像と記録映像の違いにすぎない.ライブか記録か,ただそれだけの違いである.YouTubeという新しいメディアを使っているために,3つ目の段階を追加したにすぎない.

「Live view」のライブ映像を見ることができたのは,この映像を撮影をしながら見ていた私だけである.あとは,私が自分のQuickTimeのファイルを開いても,YouTubeにアクセスした人も,見るのは記録映像である.

エキソニモの《断末魔ウス》の場合はどうだろうか.そこで私たちが見るのは,マウスが壊されていく記録映像である.しかし,目の前にあるディスプレイ上で,記録映像の中のマウスと連動して動くカーソルはライブ映像である.記録映像とライブ映像を同時に,重ね合わせて見るという体験がここでは起こっている.
マウスが破壊される瞬間のカーソルの動きを「断末魔」と捉え,映像と同時に記録した作品.これは,機能を失うことでモノとしての死と,再現可能であることで「死なない」情報との対比であり,モノとデータ,記録映像とライブ映像,映像と PC 環境の境界線を越える挑戦である.
断末魔ウス「Description」,exonemo
記録映像とライブ映像との「あいだ」を考えなければならい.今までこれらを同時に重ね合わせて見ることがなかった.それゆえに,このふたつの映像には互いが共有するような「あいだ」がなかった.なぜなら,これらは交わらない映像であったからだ.しかし,今では,このふたつの映像は交わる.そこに共有する「あいだ」が生じる.この「あいだ」の意味を考えなければならない.

記録映像という「かつて-そこに-あった」とライブ映像という「いま-ここに-ある」が同時にある世界.《断末魔ウス》をはじめて見ると,それは過去に記録された映像であるという思いの方が強いように思われる.それには,カーソルの動きを作る位置情報も過去に記録されたものというのも強く影響しているように思われる.

しかし,カーソルは記録された位置情報に基づいて,鑑賞者の目の前で「今」動いているのである.にもかかわらず,私たちは過去の方へと引きづり込まれる.それは,私たちがまだ情報,データに基づいた映像を見るということに慣れていないからではないだろうか.

私たちはアナログとデジタルという映像の違いをさんざん比較してきた.しかし,このふたつの形式は私たちの見るという体験に,実は大きな変更を加えることはなかった,と私は考える.しかし,データに基づいた映像とそうではない映像を見るという体験は,大きな影響を与えるのではないだろうか.すべてを「いま-ここに-ある」にしてしまう.「いま-ここ」という「点」の状態を,ディスプレイという「面」に展開して提示するデータ映像?

「かつて-そこに-あった」という事物の映像を見ることと,その事物から抽出されたデータから生じる映像が示す「いま-ここに-ある」ということ.私たちはカーソルという矢印の形を見ているが,それは「かつて-そこに-あった」事物ではない.また,事物から抽出されたデータそのものでもない.

「Live view」の映像においても,そこに記録されているのはトラックパッドを操作する私の指ではなく,指がトラックパッドに触れている接触面から抽出されたデータを可視化したものである.私たちヒトが理解できる形で,コンピュータがデータを可視化する.

コンピュータにとっては「かつて-そこに-あった」も「いま-ここに-ある」も関係ないにちがいない.コンピュータのある世界では,ヒトもデータ化されて,データの入出力の流れだけが,そこにあるだけなのだ.

ヒトとは異なる世界を構成するコンピュータ.しかし,コンピュータはヒトを必要とする.それゆえに,コンピュータはヒトとコミュニケーションをとらなければならない.そのために,ヒトに合わせたデータの可視化を行う.ヒトとコンピュータとの「あいだ」.ヒトとコンピュータとが共有する部分としてある「あいだ」の映像.

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