Pushbutton / ボタンを押すこと

"Pushbutton" convenience was a hallmark of a modern age only recently freed from bodily  work. The industrial button was once understood as an abstraction. The automated operations it triggered were still fresh substitutes for something much more tedious. The postindustrial button frequently lacks a referent in bodily experience, however. This is partly because its logic leads to cumbersome convolution. Hundreds of buttons, or hundreds of expressions for entry by buttons, depart from the realm of comprehensible experience. This is why the household videocassette recorder has become a standard emblem of incomprehensibility. (p.85)
in Malcolm McCullough (2005) Digital Ground, Mit press

「ボタンを押すこと」の便利さは,つい最近になって身体的作業から解放された近代の特徴であった.工業的なボタンは,かつては一種の抽象化として理解されていた.ボタンを押すことによる自動化された操作は,より単調で退屈な仕事を今もなお新鮮なものへと変えた.しかし,ポスト工業化時代のボタンは,しばしば身体的経験における対象を欠いている.身体的経験における対象を欠くことは,その論理から扱いにくい複雑さが生じる理由の一部である.多くのボタンや,ボタンによる多くの表現への入力が,理解できる経験の領域と離れてしまっている.このことから家庭用ビデオが理解できない機器の代表となっているのだ.

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