IAMASの「車輪の再発明」プロジェクトから「物質と情報」という二項対立の先を(少し)考える

マテリアライジング展Ⅱに出品されていたIAMASの「車輪の再発明」プロジェクトは,情報を物質に変換して終わりではなくて,それを再び現象へと変換しているところが良かった.

「物質と情報」という二項対立を繰り返していくと,そこで変わってくるのは「現象」なのではないかと考えさせられた.「物質」と「情報」と「現象」の明確な区切りはわからないけれど,このプロジェクトは「物質と情報」という二項対立の先に行っていた感じがする.

カッティングマシーンやIllustratorなどのソフトウェアを組み合わせて「音」という現象を情報と物質の両面から加工して,その結果を「レコード」として提示して,「レコードプレイヤー」で音を「現象」へと変換したものを聴く.物質としてのレコードとここで聴いている「音」そのものは特別にあたらしいものではないかもしれないけど,そこに至るプロセスのなかで「音」という現象のあり方が変化しているように考えられる.





LED光源によるや三原色への分解及びその投影と写植文字の投影も,情報がもともと物質に変換されていたものをあたらしい技術によって「現象」へと変換し直していているように思えた.レコードの作品が既存の再生装置における物質と情報との結びつきそのものである「溝」のつくり方をあたらしくすることで,これまでにない「物質−情報−現象」のプロセスをつくりだす方法を試すものだったとすると,LED光源によるプロジェクションのほうは,あたらしい技術でいかに物質から情報を引き剥がして現象にしていくのかの試みといえるだろうか.







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