お仕事:インターネット・リアリティ・マッピング(3)「JODIとエキソニモ(後編)」 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 8/06/2014 DMM.makeでの連載「インターネット・リアティ・マッピング」の第3回の記事:ハッキングされているのはコンピュータか? それとも私たちか? が公開されました.今回はJODIとエキソニモを「身体」という軸で対比させたものです. よろしくお願いします! リンクを取得 Facebook × Pinterest メール
2046年の携帯電話と2007年のスマートフォンのあいだにある変化(1) 7/07/2015 2046年の携帯電話 新海誠監督のSFアニメ「ほしのこえ」を「インターフェイス」の観点から見ると何が見えてくるでしょうか.「SF」というジャンルには近未来を予測した様々な「インターフェイス」がでてきますが,「ほしのこえ」では主にミカコとノボルをつなぐ「携帯電話」を扱いたいと思います. ノボルとミカコの物語は2046年が舞台です.2046年の中学生3年生がもっている携帯電話は,大きな液晶タッチパネルで操作するスマートフォンとは異なり,小さな液晶ディスプレイと多くのボタンを備えたものです.2046年という未来であるにもかかわらず,「ガラケー」とも呼ばれる古いかたちの携帯電話を持っているのはおかしいと思う人もいるでしょう.しかし,現在のスマートフォンのかたちを決定づけたアップル社のiPhoneが発表されたのは2007年ですから,「ほしのこえ」が発表された2002年には液晶タッチパネルを備えた携帯電話は一般的ではなかったことになります.2002年にはiPhoneがまだ存在していなかったけれど,今(2015年)では携帯通信機器の主流は,ノボルとミカコがもつような携帯電話からタッチ型インターフェイスのスマートフォンへとシフトしました.この事実は「ほしのこえ」を考察する上で重要な意味を持ちます. 「ほしのこえ」はSFなので,iPhoneのようなタッチ型インターフェイスの携帯電話の登場を正確に予測する必要はありません.なぜなら,SFは「サイエンス」という言葉がついていても,あくまで「フィクション」なので,現実的な未来の予測に囚われる必要はないからです.しかし,SFは現実世界の正確な予測ではないけれど,単なる絵空事でもありません.SFと現実とのあいだには独特なつながりがあります.例えば,『SF映画で学ぶインタフェースデザイン』には携帯電話に関する例が挙げられています. SFに見られるフィクションの技術によって,ファンは来るべき刺激的な何かを期待します.顕著な例は,『宇宙大作戦』の通信機です.1960年代後半,一般的な通信機といえば,トランシーバーないしは壁にコードにつながっているお姫様型電話だったころ,『宇宙大作戦』に登場した通信機によってモバイル電話の期待が高まりました.その使い方は電話というよりもややトランシーバー寄りではありましたが,初期の... 続きを読む
GIFアニメーションに関するメモ 10/13/2012 「GIFアニメーション」と呼ばれるが,その「アニメーション」の部分はクールジャパンで言われているアニメーションではなく,「動き」そのものを現している.だから,アニメーションとしてこれまであまり考えられてこなかった.しかも「動き」と書いたが,それはとても短い時間でループし続けるものでしかないので,あまり動かないと言えば動かない.だから,GIFアニメは「アニメーション」として見なされずに,「Web上でカクカク動くモノ」という存在であった. けれど良く言えば,その短さゆえに「動き」の最も面白い部分を抽出しているとも言えるので,もっとも「アニメーション」らしい表現とも言える.しかし,その動きはカクカクしている場合が多い.そのカクカクさは,YouTubeなどにアップされたアニメの動きの滑らかさとは異なる.動きの解像度の低さゆえに,「動き」という部分が強調されるということが起こっている.というよりも,GIFアニメは「動き」しか楽しめるところがないとも言える. カクカクした動きはGIFが圧縮画像であることが生じている.データを圧縮して「軽く」する.その際に,画像は劣化する.それでもインターネットはより多くのデータをより早く届けることを良しとするがゆえに,「劣化」を受け入れる.だから,GIFアニメは「劣化」した「動き」を示しているとも言える.しかし,それが新鮮に受け取られている.「動く」というアニメーションの基本の部分に,デジタル特有の「圧縮」が入り込み,それが好意的に受け入れられている表現としてGIFアニメを捉えることで,アニメーション概念の拡張が図れるのではないかと考えてみる. 続きを読む
京都精華大学集中授業「メディア論」 8/19/2016 メディアが融けたあとのメディア論 ───モノとディスプレイとの重なり合いから考える スライドと授業のメモ > メディアとメタメディア篇 (PDF) 誰もが使えるようになってはじめてメディア それゆえに,エンゲルバートはコンピュータをメディア化したとは言えない メタメディアと身体の縮小 外爆発の結果の内爆発というベクトルの変化 内爆発=知能の拡張=メタメディア メタメディアによって外爆発で拡張した身体自体が内爆発にベクトルを変化させる アラン・ケイのタブレットのイメージとプログラミング プログラミングで内爆発を記述する? > 融けるデザイン篇 (PDF) 表層と深層 深層をプログラミングで記述するからこそ,メディアは溶けだす. 二層構造が前提となっているからこそ,コンピュータはメタメディアである モノとメタファー 電話のようなもの 電話線が光回線になって,インターネットのもとで「電話のようなもの」となっている 深層の記述と表象の古さ=過去のメディアの流用 「メタファー」というモデルに惹きつけられるヒト? 物理層から離れて,アプリという独自の地位を与えられる 物理層,プロトコル層,インターフェイス層 > ポストインターネット篇 (PDF) Artie Vierkant Image Objects 写真という3次元のものを2次元平面で見せる視点をコピースタンプツールで破壊して,2次元にしか見えない平面を3次元にみえる2次元平面に混入させる 紐 レイヤーを貫通して,ゆるやかにつなぐ紐 実際のレイヤーはあるけれど,そのように考える小林さんの思考が興味深い リンク集 4日目 Introduction - Material design - Material design guidelines material.google.com Rafaël Rozendaal – Official Website newrafael.com Rafaël Rozendaal - Shadow Object 15 12 14 http://www.newrafael.c... 続きを読む
invisible loophole 展のギャラリートークの前|後 8/27/2011 invisible loophole 展のギャラリートークの前 カーソルという「見えない記し」.フロイトが示したような意識と無意識の2層構造.ここで,マジックメモに注目すると,3層構造がでてくる.カーソルはヒトとコンピュータとが作り出す3つめの層.カーソルの層|意識|無意識.という3層.意識の方向付けを行う「カーソル層」.意識の流れ.志向性.意識の方向.意識と無意識に影響を与える「向き」を示す層.ヒトとコンピュータとが融合することでできた新たな層.でも,それは「見えない」,見えているけど,見えない.だから,「見えない記し」.この見えない記しが見える記しを動かし続け,何かが記され続ける. マウスからグリッチへ. データが直接破壊されるグリッチ.すべてが記号の中で破壊が遂行される.ヒトのみが記号の破壊を認識できるのかといえるのが,コンピュータも,アプリケーションごとにその破壊を認識している,という面白さ.記号の破壊.見える破壊と見えない破壊. グリッチからiPadへ. iPadはデータとともに粉々に砕け散る.フィジカルに散る.リモートなし.現実にべったりとマッピングされたガジェットとしてのiPad.べったりだけど,その表面は記号の世界.現実にべったりとしたフィジカルな記号の世界.それゆえに,iPad Head Girl では「顔」から「その他のもの」に変わった時に,それが「フィジカルな」記号であるがゆえに,フィジカルと記号とが引き離されるのを見ることになる.だから,とても違和感を感じる. invisible loophole 展のギャラリートークの後 昨日は,invisible loophle という展覧会のギャラリートークをした.トークしている中で,カーソルというヒトとコンピュータとの複合体の最前面を介して,コンピュータがヒトをまねているし,ヒトもコンピュータをまねているのではないかという考えがでてきた.コンピュータの反復性を,ヒトが行うようになる.コンピュータの思考にまねる.コンピュータの身体性をまねる. 映像に関して.今まで映像は,深層と表層から成り立っていたと考えられる.そこにコンピュータ... 続きを読む
マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性 1/03/2010 フロイトは,自らの記憶と知覚のメカニズムに関する仮説のために,当時,売り出されていた玩具である,マジック・メモという装置を取りあげた.その理由は,この装置のイメージを表示する表面が,「いつでも新たな受け入れ能力を提供すると同時に,記録したメモの持続的な痕跡を維持するという二つの能力を備えている」2-11) からであった.フロイトは,「情報を無限に受け入れる能力と,持続的な痕跡の保存は,互いに排除しあう特性」2-12) と考えていたが,マジック・メモは,その相反する能力を同時に実現する装置であり,その構造は,次のように記されている. このマジック・メモは,暗褐色の合成樹脂あるいはワックスのボードに,厚紙の縁をつけたものである.ボードの上を一枚の透明なカバー・シートが覆っていて,その上端がボードに固定されている.このカバー・シートは,固定されている部分を除いて,ボードから離れている.この小さな装置でもっとも興味深いのは,このカバー・シートの部分である.このカバー・シートは二枚のシートで構成され,シートは二カ所の末端部分を除くと,互いに離すことができる.上のシートは透明なセルロイドである.下のシートは半透明の薄いパラフィン紙である.この装置を使用しない時にはパラフィン紙の下の面は,ワックス・ボードの上の表面に軽く粘着している.2-13) ここから,マジック・メモについてわかることは,大きく分けて,ワックス・ボードとカバー・シートという二つの部分から,この装置が構成されているということである.そして,カバー・シートは,透明なセルロイドの層と半透明の薄いパラフィン紙から構成されているので,全体としては,三層構造の装置ということになる.フロイトは,次に,この装置を使用するプロセスを詳細に述べている. このマジック・メモを使う際には,ボードを覆ったカバー・シートのセルロイドのシートの部分にメモを書く.そのためには鉛筆もチョークも不要である.受け入れ表面の上になにか物質を沈着させて記録を残すのではないからである.マジック・メモは,古代において粘土板や鑞盤に記録したのと同じ方式を採用しているのであり,尖筆のようなもので表面を引っ掻くと,表面がへこみ,これが「記録」となるのである.マジック・メモではこの引っ掻く動作は直接行われるのではなく,ボードを覆った二枚のシートを介して行われる... 続きを読む
お仕事:美術手帖 6月号「ポスト・インターネット」への寄稿 5/18/2015 美術手帖 6月号「ポスト・インターネット」に「 世界制作のプロトタイプ 」展のレビュー 「「リアル」と「インターネット」の密着を透かし見る方法」 を書きました.「透かし見る」というのは,展示のことを考えていたら出てきた言葉です.「リアル」からかもしれないし,「インターネット」からかもしれないけど,どちらかでもそれは「もう,どっちでもいいよ」[ マテリアライジング展Ⅲ に提示されていた渡邉朋也さんのエッセイタイトル]という感じで,どちらからも透けて見えてるという状態は気に入っています.あと,今回の特集を読んでいて思ったという後出しですが,「リアル」から「インターネット」を透かした場合は,インターネットの透過光がリアルを通過するときに反射光の影響を受けるし,逆もまたあるということが思い浮かびました.こうやって,後出しでも次々に考えたことを書いていくことは重要な感じがしています. それと 「ポスト・インターネット用語集20」 を高岡謙太郎さんと一緒に書きました.ここには「 [インターネット アート これから]───ポスト・インターネットのリアリティ 」展と「 インターネットヤミ市 」ことが書けてよかったです.日本の「ポスト・インターネット」的状況を考えるときに,これらを外すことはできません.これら展示・イベントフォーマットを海外の「ポスト・インターネット」な展示などと比較することは自分的な課題でもあります.あと,「 new jpegs 」 展のところに,「 便秘をどうにかしたい!newjpegs 」という,残念な言葉を入れられたのもよかったです.もう過ぎ去ったかもしれない「ポスト・インターネット」には,この「残念な」感じが漂っていたような気がします.「new jpegs」 展がドメイン更新しないで,「便秘をどうにかしたい!newjpegs」と放置しているのは微かに残る「ポスト・インターネット」の名残りかもしれないです. 続きを読む
2046年の携帯電話と2007年のスマートフォンのあいだにある変化(2) 7/08/2015 宇宙と地上に引き裂かれる恋人をつなぎとめる携帯電話 新海監督が「SFというよりは超長距離恋アニメを目指し」て「ほしのこえ」を制作したと言っているように,このアニメはミカコとノボルの恋のお話です.「タルシアン」という異星人は出てくるし,ミカコが操縦する「トレーサー」というロボットもでてきますが,それらと並んで,私たちが普段目にするような日常の風景もでてきます.新海監督によると「全世界あげての戦時下ということもありタルシアンのテクノロジーを拝借した軍事技術は著しく進化しているが,日常のテクノロジーの多くはほぼ現代と同等で停止したまま」という設定になっています.こうした状況のなかで,ミカコとノボルはお互いのことを想いながらも,SF的な未来の風景と現実的な日常な風景というふたつの異なる世界で生きていくことになります.このことをアニメのキャッチコピー「私たちは,たぶん,宇宙と地上に引き裂かれる恋人の,最初の世代だ」は端的に示しているのです. そして,「宇宙と地上に引き裂かれる恋人」をつなぐという重要な役割を果たすことになるのが,2000年前後のかたちを保存した携帯電話なのです.ミカコとノボルがお揃いで持つ携帯電話は,SF的世界と日常的風景をつなぐ大切な道具なのです.そのとき,SF的世界側の道具として携帯電話を私たちが見たことがない装置として描くと,そこにはふたりの距離を瞬時につなげてしまうあたらしいメッセージサービスが実装されている可能性がでてきます.そうすると,ふたりはいつでもどこでも好きなときにメッセージを送り合えます.これでは「宇宙と地上に引き裂かれる恋人」になれません.だから,携帯電話は日常側の道具として描かれる必要があるのです.そこには「超長距離メールサービス」というあたらしい技術が実装されていますが,あくまでもそれは「メール」という私たちにとって日常的な存在で描かれています. ここで「メール」と書いているのは正確には「電子メール」という技術になります.「電子メール」はもともと「手紙」としてやり取りされていたメッセージを電子化して送受信できるようにしたものです.「電子メール」は携帯電話の登場以来,誰もが使うようになっていって,いつの間にか「電子」という言葉はとれていきました.ここで興味深いのは,2046年のメールは宇宙を超えるような技術にな... 続きを読む
ナウシカの世界におけるメディア・コミュニケーション(2) 7/28/2015 みえないちから」を利用する では,今の私たちを取り巻く通信環境はなんなのだと言えば,それは「みえないちから」によって支えられているといえます.いきなり「みえないちから」という言葉を使いましたが.この言葉は,インターコミュニケーション・センター(ICC)で行われた展覧会のタイトルです.ICCというのは通信会社のNTTがもっているメディアアートのための機関です.前のふたつの文の中に,このテキストが扱っている主要な要素「通信」「メディア」が入っていることに気づいたでしょうか.そこで,ナウシカの世界におけるコミュニケーションを考えるために,現在のメディアの状況を批判的に捉えるメディアアートを参照してみたいと思います.今回は作品ではなく,展覧会のテキストに注目して,メディアアートでどのようなことが問題になっているのかをみていきたいと思います.それでは早速,「みえないちから」展の主旨を引用してみましょう. このたび,NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] では,「みえないちから」展を開催いたします. ドイツのアニメーション作家であり,音楽映画の名作として知られるウォルト・ディズニーのアニメーション作品《ファンタジア》(1940)の制作初期の段階に協力したオスカー・フィッシンガー(1900–67)は,「すべてのものに精霊が宿っている」と言い,その精霊を解き放つためには「そのものを響かせればよい」と言いました.この言葉は,アニメーションの語源が「アニマ(生命を吹き込むこと)」であることを想起させるとも言えますが,それ以上に,あらゆる物質がその中にエネルギーを宿しているということをほのめかす言葉だと言えるでしょう. アメリカの作曲家ジョン・ケージは,このフィッシンガーの言葉にインスピレーションを得て以来,物質の中に宿る音を探求し,見えないものや聴こえないものの中から音を引き出そうと試みます.それはある「もの」を叩くことによってではなく,「もの」に内在するエネルギーを聴こうとすることへと深化していきました. 音や光といったものは振動現象の一種であることはよく知られていますが,わたしたちは,たとえば人間どうしの関係性の中からも,わたしたちの知覚を超え,物理的な振動としては知覚しえない,エネルギーの交感のようなものを感じとることもあります.この展覧会では... 続きを読む
東京大学大学院講義「建築設計学第3」:建築と「もの」の振り返り 7/07/2018 建築家で東京大学大学院建築学専攻 隈研吾研究室 助教の平野利樹さんに誘われて,7月6日に東京大学大学院講義「建築設計学第3」:建築と「もの」でゲストレクチャーをしました.雨の中,聴きに来てくれた皆さん,ありがとうございます🙇♂️ レクチャーは,エクリでの連載「インターフェイスを読む」の第4・5回をGoogleの マテリアルデザイン を中心にまとめ直して,Appleの Designing Fluid Interfaces のスライドに書かれていた「A tool that feels like an extension of your mind」というテキストに言及して終わるものでした. レクチャーノート 🕋インターフェイス➡️サーフェイス➡️プリミティブなモノ レクチャーを終えて,平野さんの話しているときに,平野さんが一枚のスケッチを書きました.それは,発表で使われた大林寛さんの「 インターフェース、その混血した言語性 」のインターフェイスのファザードモデルと, akiramotomura さんが私のテキストを図解してくれた「 ヒトとコンピューター5(エクリから) 」の図の一つでした. インターフェース、その混血した言語性 ヒトとコンピューター5(エクリから) これら二つの図を書きながら,平野さんはグレアム・ハーマンから考えると,オブジェクトのサーフェイスで乱反射する行為の関係もまたオブジェクトになりますよね,ということを言われた. レクチャーしているときに,大林さんのインターフェイスのファザードモデルを使って,行為のリフレクション(反射)が起こると「光」を念頭において話しておきながら,その直後に,akiramotomuraさんの図を使って,行為が粘着的な感じで,コンピュータというモノのサーフェイスを引き伸ばすというのがどこか矛盾する感じがしていた.しかし,平野さんが私の目の前で書いてくれたスケッチは,その矛盾を解消するようなものであった.それを自分なりに解釈して書いたのが,次のスケッチです. ヒトとコンピュータとのあいだに行為のリフレクションが起こる.それは乱反射するように,ヒトとコンピュータとのとのあいだを満たして行く.行為がヒトとコンピュータとのあいだを充填し... 続きを読む
シンポジウム_デジタルメディア時代の視覚と世界変容 8/24/2014 シンポジウムで話します.今年度から勤めている甲南女子大学の同僚の馬場伸彦さんたちと「画像」の話をしたいと考えています.基調講演は港千尋さんで,ディスカッションには新津保建秀さんも参加します. 私の「報告」のタイトル「画像は2ないしそれ以上の状態を包含する可変的条件」 はマクルーハンのメディア論の「オートメーション 生き方の学習」の章に出てくる以下のテキストからもってきたものです. 電気の知識を獲得して以来,われわれはもう原子を物質として語ることはできなくなった.このことは大多数の科学者がはっきりと認識していることである.さらに,電気の放電やエネルギーに関する知識が増すにつれて,電気を水のように電線の中を「流れる」ものだとか,バッテリーの中に「含まれる」ものだとか考える傾向も減ってきている.むしろ,全般的に,電気は画家にとっての空間のようなものだとみなす傾向になる.すなわち, 電気は,2ないしそれ以上の物体の特殊な位置関係を包含する可変的条件,とみなすのである .もはや,電気が何かに「含まれる」とする見方はない.画家たちは,かなり以前から,対象物は空間の中に含まれるものではなくて,みずからの空間を生み出すものであることを知っていた.(pp.164-165) −− テーマ「デジタルメディア時代の視覚と世界変容—写真とその周辺領域において何が起きているのか」 メディアは人間の身体と感覚に大きな影響をもたらしてきた.それは身体の外部を取り囲む「環境」であると同時に,内部の問題である「知覚」と有機的に絡み合っている.メディアは物理的な生活を変化させ,記号を操作し,「世界の意味」を変容させた.つまり世界そのものを変化させてしまう力をメディア/テクノロジーは蓄えていると言えるだろう.デジタルメディアにおける世界変容の本質は何か,それは視覚芸術においてどのような相貌を見せているのか.アナログからデジタルへと移行する過渡期的な現在において,それを考察することは視覚芸術の分野において決して無益ではないと思われる. 開催日時:2014年9月7日(日)13時00分〜17時30分 場所:六甲山YMCA(神戸)〒657-0101 兵庫県 神戸市 灘区六甲山町北六甲875 TEL:078-891-0050 FAX:078-891-0054 [第1部... 続きを読む