Petra Cortright は1986年生まれ.まったく意味がわかりません.彼女のページにいくと,延々と下にスクロールしないとならないけれど,それには何の意味もなくて,ただ「↓」に従って,下にスクロールしていくだけ.と思ったら,スクロールは勝手にしてくれていた! Petra はウェブカメラで自分のことを撮影して,そこにカメラ付属のデフォルトの効果を入れた映像を YouTube に投稿した作品《VVEBCAM》2007 で有名になったみたい.けれど,その作品は YouTube に削除されてしまっている.作品自体は, Rhizome で見ることができます.そこに解説があって,ウェブを見ているときの私たちの受動的な態度を...ということが書いてありますが,そんな説明をされても,やはりよくわからない.YouTube から削除されたのは,Petra がこの作品につけたタグが Tags: 1 10 100 2 3 50 9/11 adobe america anime Apple ass asshole Australia auto baseball basketball beaner Bitch bleach boobs bottomless boxing britney Bush capri cartoon cats center chink clinton clitoris cracker crocodile cunt Cut DBZ death dogs dragonball Ebay episode eyeshield21 factor fag faggot feces fight final fuck game gay girl gook grand halo hate hilton Hollywood honeymoon hot hunter hurt Iran Iraq Japan Jordan kill lady lesbian liberal lindsey live lohan Love maim man mice Microsoft murder naruto new News nig nigger niggers Nintendo note nude o'reilly old pain Paris perfo...
Gene McHugh, Post Internet: Note on the Internet and Art 12.29.09 > 09.05.10 (これは 本 にもなっているし, 全文のPDFもネットあった .)を読みながら,「ポスト・インターネット」って何だろうと考えていたけれど,どこに手をかければいいのかわからないくらいその世界は広大すぎて,何があるのかワクワクしつつも,途方にくれてもいる.自分のためのリンク集を兼ねて思いつつメモを書いてみたい. ポスト・インターネットを巡る言説は, Louis Doulas, Within Post-Internet | PartⅠ で簡単にまとめられているので,これをさらに簡単にまとめてみる.ポスト・インターネットという言葉は,2008年に Marisa Olson というアーティストが インタビュー の中で言ったことがはじまりらしい.インターネット・アートがもはやコンピュータとネットを使ったアートを指すものでなくなり,インターネットやデジタル・メディアに影響力されたものなら,どんな種類のアートであってもそれはポスト・インターネット(・アート)になる.作品がたとえオフラインであっても,ネットなどから影響を受けていれば,それはポスト・インターネットと呼ぶことできる.Olson はインタビューの中で,ネットアーティストのGuthrie Lonergan が Internet Aware art と言っていることにも言及している. そして,最初に挙げた『ポスト・インターネット』というブログを書き続けた Gene McHugh はインターネットはもはや目新しいものではなく,平凡・陳腐(banality)なものになったとしている.次に, Artie Vierkant が2010年に書いたエッセイ, The Image Object Post-Internet では,ポスト・インターネットでは,作家性がユビキタスなものになり,作品への注目が重要になっていると言っている(作品への注目というは,McHugh も言っていて,彼の場合は「承認」という言葉であった) と,Doulas はポスト・インターネットを巡る言説を辿って,それぞれの違いはあるけ...
下條 「環境知能」と言うとき,比較的欠けているなと思った視点は,身体や皮膚の感覚,あるいはシンボリックにいく前のサブシンボリックな知能なんです.どういう意味かというと,子供がおもちゃに対してインタラクトしているとき,そのおもちゃにどういう機能があるかなんていう表象を頭のなかにつくらなくても反射的に手を出しているわけです.あるいはそこに本があれば何となくページをめくっているとかね.そうした,ピアジェが言うところの,表象より前の段階の感覚運動知能みたいなものは,安全な言い方をすればそういう研究は将来必要となるでしょう,という言い方になるのですが,そんなことをいっているあいだに,近未来において粗暴なかたちで吹き出てくるんじゃないかなという気がしているんです.(pp.150-151) 環境知能と環境管理をめぐって,東浩紀+下條信輔 司会=NTTコミュニケーション科学基礎研究所 in 環境知能のすすめ:情報化社会の新しいパラダイム ここで言われている「サブシンボリックな知能」という言葉で,昔の発表をまとめ直してみたいと思っている.プレシンボリックな知能/行為|Doing with Images makes Symbols|アレゴリー的思考 −− インターフェイス再考:アラン・ケイ「イメージを操作してシンボルを作る」は何を意味するのか. Re-thinking the interface: What is the meaning of Alan Kay's"Doing with Images makes Symbols" 水野勝仁 Masanori MIZUNO 名古屋大学大学院情報科学研究科博士後期課程 Nagoya University, School of Information Science Abstract Alan Kay created a slogan for development of user interfaces: Doing with Images makes Symbols. This reveals the essence of the Graphical User Interface (GUI) which millions...