ISEA2014の500w_アブストラクトのためのメモ_1

2003年に書かれたJulian Stallabrassの 'The Aesthetics of Net.Art'で,初期のネットアートは非物質的であるがために,物質性と結びついた美的感覚に基づく現代アートとは異なる存在になっていたと指摘した.さらに,Stallabrassはnet.artの作品の多くが「機能する」ことにより,現代社会に対してダイレクトに影響を与ええていたと書く.ここでの「機能」はインタラクティブであったり,誰もがネット上で見ることができるということと関係している.対して,現代アートの作品は社会への問題提起などを行なっているが,それらはギャラリーなどでひっそりと行なわれ,うまく隠れていたとしている.ひっそりと行なわれているから,そして社会にダイレクトに影響を与えないからこそ,それらは価値をもった.

10年後の2013年「ネットの美学」はどう変わっているだろうか.ポスト・インターネットの作家たちは,自分たちのリアルの画像を物質性のない画像に変えて,インターネットに流通させつづけて,そこでの変化を楽しんでいる.ギャラリーも「画像」化した作品によって,あらたなコレクターをネット経由で獲得している.Stallabrassは「伝統的なアートのオブジェクトとインターネットアートのオブジェクトは全く異なっている」と書いたが,今でもそのちがいはなくなってきている.現代アートの作品も,どんどんインターネット・アートがもっていいた「非物質性」を取り入れてきている.

作品のJPEG画像のみの展覧会である'Send Me the JPEG' はこの状況を皮肉ったものである.皮肉ってはいるが,この流れは止めることができない.いや,世界第3位のオークションハウス「フィリップス」がTumblrと共同して開催さいたデジタルアートのオークション「Paddles On!」が示すように,アートの非物質化=データ化の流れを推し進めようとする力のほうが強いのであろう.ただ,コレクターの方はまだこの流れに懐疑的で,オークションではデジタルデータそのものの作品よりも,デジタルのアイデアでつくられた物質的な作品に高値がついた.

しかし,アーティ・ヴィアーカントのエッセイ「ポスト・インターネットにおけるイメージ・オブジェクト(The Image Object Post-Internet)」が示すようにアーティストにとってはもう物質的なオブジェクトとデジタルデータとはほぼ同じものとして扱われつつある.「Paddles On!」に「レンチキュラー」による物質的な動く絵画とウェブサイトの作品を出品したのはラファエル・ローゼンダールである.実際に落札された額からいえば,レンチキュラーの方が高かったのだが,それはコレクター側の心理であって,物質/データの作品を同時に出品するローゼンダールはやはり興味深い.

そんな彼がみんなでプロジェクターをもちよって一夜限りの展示を行うBYOB (Bring Your Own Beamer)という仕組みを考えたことにも注目してみたい.ローゼンダールがBYOBでやったことは,物質/データを問わず作品をつくることではなく,「場所」をつくることであり,その「場所」を世界中のいたるところに出現させるための「システム」づくりである.ローゼンダールは,欧米を中心とするアートマーケットに「ウェブサイト」の作品というあたらしい価値とレンチキュラー絵画という伝統的な価値とで挑みつつ,BYOBというマーケットとは異なる場所自体をつくりだしている.

「独自の場所」ということなって,ここでやっと日本の「インターネットヤミ市」をもってこれるのではないだろうか.'Send Me the JPEG' が「情報」を伝えるという意味では機能的な画像をとおして作品が売れていくことへの皮肉だったとすれば,ヤミ市は画像やソフトウェアの流通が不自由になってきたインターネットへの皮肉であろう.不自由になってきたインターネットから離脱して,リアルの世界で「石」など全く機能的ではない,その場を離れると「?」となってしまうモノを売買してしまう自由を得ること.BYOBと同じように独自の場所をつくりながら,そこに「お金」を組み込んで「マーケット」をつくってしまうことが,欧米との意識のちがいであろうか.いや,意識のちがいではなく,アートをめぐる「システム」のちがいなのかもしれない.

そして,日本においてのインターネットからの表現を考察・展示を行ってきたCHAOS*LOUNGEの最新の展示タイトルが「​LITTLE AKIHABARA MARKET」になっている.「マーケット」と名付けられた展覧会ではいかのことが行なわれる.

「二次創作」によって召還され,「MARKET」の循環のなかで復興しうるのは,一度失われた,あるいは失われつつある二次元的、キャラクター的表現のすべてである.つまり,今となってはオタクカルチャ,からも現代アートからも切り離されつつある,宗教的イメージやイコンもまた,二次元的,キャラクター的表現の系譜として呼び出すことが可能なのだ.
展覧会について 

CHAOS*LOUNGEも「マーケット」を開き,インターネットの秘密結社IDPWもヤミ市=ブラック「マーケット」を開く.このあたりのことはまだ展示を見ていないのでアブストラクトでは書くことはできないが,10月の発表までにはまとめてみたい.

このブログの人気の投稿

【2023~2024 私のこの3点】を書きました.あと,期間を確認しないで期間外の3点を選んで書いてしまったテキストもあるよ

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

映像から離れていっている

出張報告書_20150212−0215 あるいは,アスキーアート写経について

「グリッチワークショップ」を見学して考えたこと

画面分割と認知に関するメモ

矢印の自立

アンドレアス・グルスキー展を見て,谷口暁彦さんの習作《live-camera stitching》を思い出しました

京都工芸繊維大学_技術革新とデザイン_インターフェイスの歴史