メモ:David Joselit『After Art』


David Joselitの『After Art』はTumblrにおけるイメージ分析に使えそう.作者は「ポスト」と「アフター」のちがいにこだわっており,「ポスト」は切断するという感じで「アフター」は前のものの残響があるという感じがするので,「アフター」を使うとのこと.

アートの定義をリンクにまで拡げるというところはパーカー・イトーの考えを想起させる.だったら,イトーのテキストの引用すればと思ってしまうのだが,この本では「ポスト」インターネット的に活動しているアーティストは取り上げられていない.

ベンヤミンは「時代遅れ」と言い切ってしまっているところが爽快.そうですよね,時代に合わせて議論をアップデートしていかないと.作品がメディアの連鎖のなかに入り込むこと,メディアごとに作品がコピーされていきそのイメージが変化しいくのだから,「アウラ」なんてもうないも同然というか複数のアウラが同一の作品にあってもおかしくないわけです.

リンクというかたちでフォーマット・形式をつくるのが,アフター・アートの作品のかたちというのはまさにという感じがする.そして,作品を支えてきたとされるメディアはフォーマットの下部構造になる.メディアはモノであり,フォーマットはつながり.

作品によってあたらしいコンテンツをつくるという意識ではなく,作品によってこれまでなかったようなつながりのパターンを見出していくことが重要とされる.溢れている画像の「流れ」を変更していく.批評家はその「流れ」をトレースして明らかにすることが仕事.

ネットがスケールアップしていったときに検索可能性をもとめてGoogleがでてきたように,溢れる画像のなかでの検索可能性を高めることが現在のアーティストに求められている.このようなことを描いておきながら,ネットアートを扱うことはない.それはおそらくネットそのものにコミットしなくても画像は溢れ出しているということなのだろう.

作者が「フォーマット」といっていることを「形式」ではなく「初期化」と読み替えてみると面白いかもしれない.ポスト・インターネット的状況で活動する作家たちが「アフター」でなく「ポスト」を選ぶのは「切断」というよりもアートを「初期化」するということが意識のどこかにあるのかもしれない.そして,初期化した「後で・ポスト」でつくり続ける「ポスト・プロダクション」ということ.ポスト・プロダクションするためにプロダクションでまずはフォーマットを行うという感じであろうか.

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