「INFOspirit」という大きな構造体のなかで「神」が顕現する条件


Kevin Bewersdorfの「Spirit Surfing」を読み終える.Bewersdorfは2007−2009年にインターネットでテキスト,音楽,映像とさまざまな媒体で作品を発表したが,その後ネットから自分の痕跡を消去したアーティストである.なので,「Spirit Surfing」はネット上にまだ残っている彼の痕跡や,サルベージされたデータを編集してつくられた本になっている.

Bewersdorfは「経歴」のなかで次のような言葉を残している.

私は自分のラップトップを躊躇なく崖に投げ捨てるだろう(コンピュータは「INFOspirit」に至るひとつの入り口である).データはすでにネットに蒔かれているし,そのデータは私に関係するものである.

この言葉を実践したのち,Bewersdorfはネット上にひろがる自分に関するデータを消去し始めたのである.編者のDomenico Quarantaは,Bewersdorfによるオリジナルが突如として失われたので,ネットに残された彼の作品に関する低解像度の画像や映像,MP3のデータが貴重になったと指摘している. マルセル・デュシャンがチェスに没頭して,突如アート界から消えたように,Bewersdorfはネットから自らのデータを消去した.

自分のデータをネットから消去するだけなら特に問題にはならないだろう.それは今では誰もがやっている.だが,先に引用した「経歴」に書かれた「INFOspirit」という言葉が示すように,Bewersdorfはネットに「スピリチュアル」な存在を見ていた.ネットは物理的に破壊されうるが,「INFOspirit」を壊すことはできない.この考えが彼の行為を複雑なものにしている.「データ」は消すせるが,一度ネットに記された「INFOspirit」は決して消去されない.このことを実証するように,Bewersdorfは自らのデータを消した.そして,それらは「スピリチュアル」な存在になった.だからこそ,QuarantaはBewersdorfの痕跡をかき集めて編集して書籍をつくり,またネット上の人々によってShare your Sorrowというまとめサイトもつくられた.Bewersdorfはデータを消した.けれど,ネットという構造体は「消去」を許さない.それはネットにアップされた時点で,半ばBewersdorfから離れ「INFOspirit」という大きな構造体の一部となっているのである.

「Spirit Surfing」には「ヴィジュアル・エッセイ」という章があるだが,画像データのほとんどがサルベージできかったために,ほとんどビジュアルなしのエッセイになっている.ビジュアルがあるのが「Stock Photography Watermarks As The Presence of God」というタイトルのエッセイ(これはまだネット上で読める).これが興味深い.





Bewersdorfは「祈り」をテーマにした素材写真を集める.そしてそれらの真ん中に「123RF™」と会社のロゴマークの透かしが入っていることに注目し,そのロゴが祈りの対象の「God」になっていると,Bewersdorfは指摘する.Bewersdorfが素材写真に見出した「神」の顕現の構造は,エキソニモの「ゴットは、存在する。」に通じる感覚がある.エキソニモの作品は「神」を表しているわけではなく,「ゴット」という「ゴッド」とは似ているが異なる存在を提示しているのであるが,それを見る人はそこに「ゴッド|神」を存在を感じてしまう.Bewersdorfもまた素材写真であることを示す「透かし」に「神」を見出している.

「神」をそこに見立てる構造は,ひとつの画像だけでは成立しないだろう.大量の素材写真にプログラムが自動的に「透かし」を入れ続けた結果として,そこに「神」が顕現する.写真家は撮影した画像をウェブにアップする.すると,数行のコードによって画像に「透かし」処理が実行される.そして,処理された画像を見たBewersdorfがそこに「神」を見出す.エキソニモの「ゴットは、存在する。」の連作のひとつ《噂》も,Twitterのタイムラインにある「神」「ゴッド」を,プログラムで「ゴット」に変換する.変換された大量の「ゴット」を見つめる人が,そこに「ゴッド」を見出す.

プログラムによる自動化が生み出す大量の「透かし」や「ゴット」に,見る人が「ゴッド」を見出すという構造.「神」が顕現する自動化は限られているだろうけれども,Bewersdorfやエキソニモは「ゴッド」が顕現する条件を嗅ぎとりエッセイや作品としてまとめたといえる.そして,Bewersdorfとエキソニモがともに「スピリチュアル」という言葉をネットやコンピュータ,インターフェイスに持ち出しているところも興味深いところである.彼らがもともとネットとコンピュータに「スピリチュアル」な何かを感じていたから,「ゴッド」が顕現する条件を見つけ出したのか,それともその逆なのか.もしくは,「INFOspirit」という大きな構造体の一部が「神」なのか? このことについては改めて考えてみたい.

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