Money Finderがつくるお金を介しての楽しげな関係
Money after Money | 信用ゲーム 2013で開催されたエキソニモ×MaM×GYRE 《MoneyFinder Harajuku》ワークショップに参加しました.
Money FinderはエキソニモがつくったiPhoneアプリで,街なかに埋められた仮想通貨MaMを集めたり,自分でそれを埋めたりすることができます.「500円」が落ちていたら拾うように,「500MaM」が埋められていたら拾うわけです.リアルマネーの場合,ほとんどが拾った人だけが得をして,お金を落とした人は悔しい思いをします.けれど,Money FinderではMaMをゲットすると,そのときの様子がiPhoneカメラで録画されて,MaMをそこに残した人に届くのです.MaMを残した人は拾った人の顔などの情報を映像で知ることができるのです.
拾った人も得をするし,奪われた人にも楽しみがある.お金を介しての楽しげな関係が Money Finderでは構築されるような感じがします.では,MaMではなくて実際のお金でやったらどうか.それは思考実験でしかないのですが,Money Finderはどことなく「お金」をもっと気楽にというか,「遊び」のために使ってみたく感じがあります.さらに考えてみると,お金を「使う」という感覚ではなくて,「置く」という感じに近いのかもしれません.普段,私たちはお金を特定の何かと交換しているわけですが,Money Finderではお金を置く人がその用途を特定することはできません.ただ「置く」ことしかできません.置く時に何かしらの想定,例えばこのお店がオススメだからワンドリンク代としてお金を店先を置いたりするかもしれませんが,お金の使い方は拾った人次第です.
ワークショプの経験からすると,最初のうちは「MaM」を置くことに何かしらの意味をつけていたのだけれど,ある程度置いていくと,単に誰かが拾ってその映像が見れたらいいかなと思いつつ置くようになっていったような気がします.そして,最終的にはそれが拾われるかどうかは関係なくなってきて,MaMを「置く」ことが楽しいみたいな.これは私の場合「MaM」から「円」になっても同じような気がします(ただし少額ですが…).だから,お金を「置く」人は,どことなくお金の「交換価値」を剥ぎ取るというか,お金をお金として成り立たせているシステムそのものを気軽に否定しているのかもしれません.会場に掲示されていたエキソニモのテキストに「ちょっと暇だからMaMを置いてくる」みたいなことが書いてあって,こんな気持ちで「お金」を置けるようになると,そこではお金がお金であることがあっさりと否定されて,単なるモノになっている感じがします.
では,「モノを置くようにお金を置く」ような感覚になるのはどうしてかを考えてみると,「置く」ことの対価として設定されているのが「映像」だからかなと思いました.確かに,拾った人の情報を示す映像ですが,見ず知らず人が映っていたらそれはほとんど何も役に立たないものです.Pokeのように一度しか見れないようにしたら,まさにその場だけのものです(今は「通知センター」経由で,後からでも見られるようになっています).ほとんど役に立たない,でも面白いことが起こるかもしれないというちょっとした期待.この「とても漠然とした期待」がお金をモノのように置いてしまう根底にあるのではないでしょうか.この感じはお金を投げてしまう「お賽銭」に通じている感じがしますが,Money Finderでは「お願い」もないし,神様という特定の相手もいないので,もっとカジュアルな「漠然とした期待」なのかもしれません.
Money Finderを体験しているときに似ているなと思ったのが,アラム・バートルのDead Dropsです(Dead Dropsの紹介記事→データ流通に関する2つの事象:《Dead Drops》と「Art.sy」).Dead Dropsは誰でも使用できるUSBフラッシュメモリーを街中の壁に埋め込むなどして、オフラインで自由にデータ共有するプロジェクトです.どこが似ているかというと,まずはリアル空間を移動する必要があるということです.Money Finderのワークショップは,街中を歩きまわってとても疲れました.この身体的な疲れとともにMaMを集めたり埋めたりしていくのが気持ちよかったのです.Dead Dropsは体験したことがないのですが,街なかにあるポイントを探して歩きまわる点は似ているのかなと思います.あともうひとつの類似点は「漠然とした期待」です.Dead Dropsはデータ共有を目的としていますが,USBメモリーに自分のパソコンを接続してその中身を見るまではそこに何があるのかわかりません.この「わからなさ」があるから,そこには何があるのだろうという「漠然とした期待」が生まれて,得体の知れないUSBに自分のパソコンを接続してしまうのではないでしょうか.
Money Finderはこれまでとは異なるかたちのお金によるカジュアルなコミュニケーションを求めていて,Dead Dropsはネット上では規制されはじめたデータ流通に対して,自由な経路をつくりだそうとする試みです.そして,これらを支えるのが「とても漠然とした期待」なのです.
Money Finderはまだ仮想通貨「MaM」での実験段階にすぎませんが,このプロジェクトを多くの人が体験するなかで,「お金」に対する感覚が変わっていくと,そこにあたらしいコミュニケーションが生まれてくると思います.なので,まずはアプリをダウンロードして体験してみることをオススメします→MoneyFinder_iPhoneアプリ:iTunes store
そして,26日に行われるワークショップにも参加してみるとさらに面白い体験ができると思います.
探す人は自分の情報と引き換えにMaMをゲット.
埋める人はMaMを奪いに来る人の情報をゲット.
Money Finder とは
拾った人も得をするし,奪われた人にも楽しみがある.お金を介しての楽しげな関係が Money Finderでは構築されるような感じがします.では,MaMではなくて実際のお金でやったらどうか.それは思考実験でしかないのですが,Money Finderはどことなく「お金」をもっと気楽にというか,「遊び」のために使ってみたく感じがあります.さらに考えてみると,お金を「使う」という感覚ではなくて,「置く」という感じに近いのかもしれません.普段,私たちはお金を特定の何かと交換しているわけですが,Money Finderではお金を置く人がその用途を特定することはできません.ただ「置く」ことしかできません.置く時に何かしらの想定,例えばこのお店がオススメだからワンドリンク代としてお金を店先を置いたりするかもしれませんが,お金の使い方は拾った人次第です.
ワークショプの経験からすると,最初のうちは「MaM」を置くことに何かしらの意味をつけていたのだけれど,ある程度置いていくと,単に誰かが拾ってその映像が見れたらいいかなと思いつつ置くようになっていったような気がします.そして,最終的にはそれが拾われるかどうかは関係なくなってきて,MaMを「置く」ことが楽しいみたいな.これは私の場合「MaM」から「円」になっても同じような気がします(ただし少額ですが…).だから,お金を「置く」人は,どことなくお金の「交換価値」を剥ぎ取るというか,お金をお金として成り立たせているシステムそのものを気軽に否定しているのかもしれません.会場に掲示されていたエキソニモのテキストに「ちょっと暇だからMaMを置いてくる」みたいなことが書いてあって,こんな気持ちで「お金」を置けるようになると,そこではお金がお金であることがあっさりと否定されて,単なるモノになっている感じがします.
では,「モノを置くようにお金を置く」ような感覚になるのはどうしてかを考えてみると,「置く」ことの対価として設定されているのが「映像」だからかなと思いました.確かに,拾った人の情報を示す映像ですが,見ず知らず人が映っていたらそれはほとんど何も役に立たないものです.Pokeのように一度しか見れないようにしたら,まさにその場だけのものです(今は「通知センター」経由で,後からでも見られるようになっています).ほとんど役に立たない,でも面白いことが起こるかもしれないというちょっとした期待.この「とても漠然とした期待」がお金をモノのように置いてしまう根底にあるのではないでしょうか.この感じはお金を投げてしまう「お賽銭」に通じている感じがしますが,Money Finderでは「お願い」もないし,神様という特定の相手もいないので,もっとカジュアルな「漠然とした期待」なのかもしれません.
Money Finderはこれまでとは異なるかたちのお金によるカジュアルなコミュニケーションを求めていて,Dead Dropsはネット上では規制されはじめたデータ流通に対して,自由な経路をつくりだそうとする試みです.そして,これらを支えるのが「とても漠然とした期待」なのです.
Money Finderはまだ仮想通貨「MaM」での実験段階にすぎませんが,このプロジェクトを多くの人が体験するなかで,「お金」に対する感覚が変わっていくと,そこにあたらしいコミュニケーションが生まれてくると思います.なので,まずはアプリをダウンロードして体験してみることをオススメします→MoneyFinder_iPhoneアプリ:iTunes store
そして,26日に行われるワークショップにも参加してみるとさらに面白い体験ができると思います.