メディアアートはさらに夢を見るのか?

1945年のヴァネバー・ブッシュの「As We May Think」から始まる,膨大な情報量を処理していくためのヒトとコンピュータとのあいだのコミュニケーション/インタラクションをよりよくしていく壮大な夢.それが,ひとまず,1984年のアップルのマッキントッシュで終わると考える.

1989年のジェフリー・ショーの《レジブルシティ》からはじまる.コンピュータを使ってより自由なインタラクションを創造していくというきらびやかな夢.このラインとは別のところで,コンピュータ科学者がいろいろなインターフェイスを創造していたのだろうけれど,1989年から1998年は,アートにおけるインタラクションの追求の方が,やはりきらびやか.もしくは,新しく開発されたインターフェイスが魅力を放つところとして,アートが機能していたのかもしれない.ここにメディアへの批判的まなざしがあったのかは考えないといけないところだが.

1998年以後,つまりグーグル以後は,再びアートよりも,ユーザ・インターフェイスの研究の方が目立つ.メディアアートやネットアートが掲げ,それを捉えようとしていた大きな夢を,グーグルやフェイスブック,ツイッター,Wii,Kinect が実現していっている感じがする.

ユーザ・インターフェイスが夢を見て,それを土台にメディアアートがさらに夢を見て,それらの夢をネットやゲームが実現していっているような.この実現からさらにアートはさらに夢を見るのか,それともそれを批判していくのか.

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