情報美学概論メモ:「もうひとつの」と「ただひとつの」のあいだ

メディアアートをもうひとつの自然と考えることは、キュレーターの四方幸子さんが行っている。データとして計測可能になった自然の在り方が拡張している。サイバネティク・アースを提唱する暦本純一さんの考えも、データがもうひとつの自然となっていくことを示していると考えられる。

「もうひとつの自然」ではなく、「もうひとつの世界」の生成を考えると、可能世界論になっていく。メディアアートでは、古くから「仮想世界」という名前がつけられてその可能性を探求されてきた。

メディアアートには、「もうひとつの」という言葉が常に寄り添っている。「もうひとつの」と呼ばれてきたもののいくつかは、知らない間に「ただひとつの」とも意識されない、ただそこにあるものになっている。私たちは、「もうひとつの」世界なり、自然なりをいつかの時点で受け入れているが、それかいつだったのかを明確に示すことができない。「もうひとつの」と「ただひとつの」のあいだを分けているのは何なのだろうか? そこには何があるのだろうか?

そこには「美学」が入り込んでいるのかもしれない。「もうひとつの」が「ただひとつの」へと移行していくときを考えるには、「美学」が必要なのかもしれない。

このブログの人気の投稿

【2023~2024 私のこの3点】を書きました.あと,期間を確認しないで期間外の3点を選んで書いてしまったテキストもあるよ

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

映像から離れていっている

出張報告書_20150212−0215 あるいは,アスキーアート写経について

「グリッチワークショップ」を見学して考えたこと

画面分割と認知に関するメモ

矢印の自立

アンドレアス・グルスキー展を見て,谷口暁彦さんの習作《live-camera stitching》を思い出しました

京都工芸繊維大学_技術革新とデザイン_インターフェイスの歴史