情報美学概論メモ:「もうひとつの」と「ただひとつの」のあいだ

メディアアートをもうひとつの自然と考えることは、キュレーターの四方幸子さんが行っている。データとして計測可能になった自然の在り方が拡張している。サイバネティク・アースを提唱する暦本純一さんの考えも、データがもうひとつの自然となっていくことを示していると考えられる。

「もうひとつの自然」ではなく、「もうひとつの世界」の生成を考えると、可能世界論になっていく。メディアアートでは、古くから「仮想世界」という名前がつけられてその可能性を探求されてきた。

メディアアートには、「もうひとつの」という言葉が常に寄り添っている。「もうひとつの」と呼ばれてきたもののいくつかは、知らない間に「ただひとつの」とも意識されない、ただそこにあるものになっている。私たちは、「もうひとつの」世界なり、自然なりをいつかの時点で受け入れているが、それかいつだったのかを明確に示すことができない。「もうひとつの」と「ただひとつの」のあいだを分けているのは何なのだろうか? そこには何があるのだろうか?

そこには「美学」が入り込んでいるのかもしれない。「もうひとつの」が「ただひとつの」へと移行していくときを考えるには、「美学」が必要なのかもしれない。

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