ユーザ・インターフェイスとメディアアートのあいだを考えるために、帰省のバスの中で書いたメモ

ユーザ・インターフェイスとメディアアートのあいだ

ユーザ・インターフェイスとメディアアートのあいだで考えていく。コンピュータという新しい対象とヒトとのあいだにどのようにコミュニケーションが生まれていくのか? それは、新しい関係を作っていくこと。

ユーザ・インターフェイスがヒトとコンピュータとの関係を一般化する。一般化された関係を、メディアアートが批判していく。そこから、新しいユーザ・インターフェイスが生まれていくとひとつのサイクルができるのだけれど、今までそんなことは起きていなかったのではないだろうか? では、なぜ起きなかったのだろうか?

ユーザ・インターフェイスもそれまでの技術への批判から生まれたものであるから、メディアアートからの批判を必要としていないのかもしれない。

メディアアートからの批判が、抽象的すぎるのかもしれない。メディアアートはそもそもコンピュータというメディアを批判しているのであって、ユーザ・インターフェイスを批判しているのではないかもしれない。

メディアアートからの批判が、サザーランド、エンゲルバート、ケイらコンピュータのパイオニアの思想に追いついていないのかもしれない。

ユーザ・インターフェイスとメディアアートのあいだで考えていくために、今の自分には、メディアアートの歴史が欠けている。まず、この部分を補強しなければならない。

このブログの人気の投稿

メモ:メディアアートにおける情報と自然との関係のスライド作り終えた後のつぶやきのまとめ+α

日本映像学会第52回大会での発表:『映像そのもの』という何かを感じ始める

上海での発表のためのメモ

「\風景=風景」あるいは「システム=風景」

日本映像学会第51回大会での発表:VR体験をしているマウスにとっての映像とは何なのか

ユラユラフラフラしているモノ

メディア映像史 (2025年度水野担当分)の授業資料

「アーティスト・トーク 古澤龍」を終えて

safari 5.1|← →|chrome 15 beta

お仕事:ヒューマンインターフェースの歴史 :「よくわからない」から、身体で感じるコンピューターへ