「Compression Artifacts」が示す「イメージ」という語の重心の移し方


という谷口暁彦さんのツイートで知った「Compression Artifacts」 というグループ展? 実際に開催されたのかどうかもあやしい.Joshua Citarellaのサイトでは「Work」ではなく「Projects」にカテゴライズされていて,そのカテゴリーには他にPhotoshopのpsdファイルのみで構成されている「the PSD show」と日々tumblrに「アート的な」画像をアップし続けている「Jogging」がある.

「the PSD show」と「Jogging」はオンラインの活動だが,「Compression Artifacts」はリアルでの活動に重きを置いているというか,このリアルへの重心の置き方がおかしい.どこかの林のなかに展示空間をつくって,そこで展示を行うということが行なわれたらしい.展示後は展示施設は取り壊され,作品は燃やして灰になったとしている.だから,展示が行なわれたかどうかを示すのは,サイトにあげられている画像と関係者の記録・記憶のみとなる.


谷口さんも名前を出しているアーティ・ヴィアーカントのカラフルな作品が正面と左側の壁にかかっているが,彼のイメージ−オブジェクトという考え方が今回のグループ展の基底にはあるのだろう.インターネットが当たり前になったポストインターネット的状況では,リアルな空間に実際に展示したオブジェクトよりも,それを撮影して,より良く見えるようにPhotoshopで加工したイメージのほうが多く人の目に留まるし,それが作品の善し悪しを決めるものになりつつあるとヴィアーカントは考えている.そして,ヴィアーカントは展示の作品の原型を辛うじて留める程激しく加工した画像をネットにあげる.そこではリアルの展示が第一で,ネットはそれを補完するものだとする序列はなくて,ヴィアーカントにとってはどちらも作品して等価なものとして扱われる.

「Compression Artifacts」はどこでいつ行なわれたのかはっきりとしないものではあるが,きっちりと画像は残っている.林のなかに展示空間をつくってしまうというリアルへのアプローチと,それとバランスを取るように,展示が本当にそこで行なわれたのかを示す根拠をわざと揺るがすように展示空間そのものへの加工が行なわれ,上の画像のように天井がない空間なのに,天井がある画像がウェブにあげられている.このようなリアルとウェブ上の画像とのバランスにヴィアーカントの影響が大きくでている.


その他,ウェブにあげられている画像を見ていくと,作品展示の仕方が画像ごとに変わっていたり,空間そのものも変化している.



Photoshopなどのソフトウェアで如何ようにも画像の加工ができてしまうことは,もう今の時代の前提になっているが,その前提をここまで展示の枠組みとして使っているものはあまりなのではないだろうか.Joshua Citarellaはソフトウェアによって写真は,世界とイメージそのもののギャップを埋めるようになってきて,それは見えるものではなく,コンセプトに関するギャップであるとしている.そして,ソフトウェアが写真的イメージを物質や時間・空間の制限から解放していると続ける.これはソフトウェアによって,「イメージ」という語が世界の描写を示すものではなく,専らアーティストやそれぞれの人が思い浮かべるものを指す語へとその重心を移したことを言っているのであろう.

この「イメージ」という語の意味の変化は,ポストインターネットに馴染みある作家だけでなく,アンドレアス・グルスキーのような写真家にも当てはまるだろう.グルスキーはそこにある世界をカメラで切り取るのではなく,自分が思い浮かべた情景を理想的なかたちで外部化・画像化するためにカメラとコンピュータを使っているのだから.

Joshua Citarellaは「インデックス性がなくなっていくにも関わらず,世界はもっともっと模倣的になっていって,主観的経験や願望に基いてレンズの歪みや物質的生産物の限界の周りの世界を表現していく」と書く.「Compression Artifacts=圧縮された人工物」というタイトルが与えられたこのプロジェクトは,世界がソフトウェアによって次々と理想化された画像となっていくなかで,歪まざるをえない人工物の存在の根拠を問うものになっている.最終的には壊されて,灰になってしまう人工物は,画像化される際にレンズによって歪まされ,データのなかで圧縮されながらも,スクリーンに画像として映しだされたときに最も理想の姿を見せるのである.たとえそれが嘘のような画像であっても…


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