new jpegs インターネット アート これから ちがい?

 

スウェーデンのJohan Berggren Galleryで2011年7月23日−8月20日かけて行われた「new jpegs」展.参加作家はChris CoyParker ItoJon RafmanBen SchumacherArtie Vierkant.上の映像は,Artie Vierkantが作成した展覧会のトレーラ映像である.ホワイトキューブの空間がまずあり,しばらく見ていると,そこに新たな「白い壁」や,筆で描かれたような「白い線」が現れる.それらの「壁」や「線」は,映像に加えられたイメージである.現実の空間と映像に描かれたイメージが同居するようなトレーラになっている.

展覧会のプレスリリースには,若いアーティストにとってオブジェクトや行為,そしてそれらを記録したドキュメントの境界はなくなっていって,まさにポスト・メディウムになっていると書かれている.そして,次の説明がなされる.
「new jpeg」展の作品は,この状況(ポスト・メディウム)を参照しながら,ギャラリー空間のオブジェクトと循環するイメージとを同等に存在するものとして扱い,作りあげられた.
実際に展示した作品を撮影して,ネットにあげる.この一連の操作は多くの作家.ギャラリーが行なっていることである.「new jpegs」展では,この先に,ドキュメントの画像を自由に改変してさらにそれをまたネット上で展示するということを行なっている.ギャラリーにあるオブジェクトは,あたらしいイメージを作るための出発点として使われる.あとから作られるネット上のイメージと,もともとあるオブジェクトのあいだに見え方の違いはあっても,どちらが優れているという意味での価値の差はない.まずオブジェクトがあり,そのドキュメントとしてイメージがあり,それがネットにあげられ,新たに手が加えられていく.このプロセスのなかで,「展示はインスタレーションとコラージュ,実現されたものと計画,物質と非物質とのあいだのどこかに存在する」としている.
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この展覧会では「オブジェクト|イメージ」,「リアル|ネット」とのあいだでくるくると作品が循環することで,あたらしい表現を作り出そうとしている.リアルとネットとのあいだを接続したところで,現在ではそこになんらあたらしさは見いだせない.しかし,「オブジェクト|イメージ」,「リアル|ネット」のどちらが上ということではなく,それらを同等に扱う感覚をもちながら,作品をこれらふたつの空間を循環させることを,普通に考え,当たり前にやってしまうということに,あたらしさが生じている.

ただここにはひとつ考えるべきことがあるのではないだろうか.下の映像は「new jpeg」展の展示空間を撮影したものであるが,この映像を見ると,この展覧会はリアルな空間でやることに意味があったのかという感じもしてくる.この展示では,リアルな空間が持つ意味が,意外と考えられていないのではないか.ここではネットで作品をイメージを循環させるために展示した作品を撮影するという行為が最も重要で,作品をリアルな空間に展示し続けるということは,それほど重要視されていなかったのではないだろうか.もちろん,この映像だけではネットで生じたあたらしいイメージが,後日この空間に展示されたかどうかはわからないので,単なる憶測でしかないのだが…


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インターネットは接続する/しないにかかわらず,そこにあるものとして認識されつつある今,それに接続するだけではあたらしさを見出すことができない.だから,「new jpegs」 展が示すような,「ネットとリアルとのフラットな関係」という関係性が重要になってくる.そして,「new jpegs」  展をICCで行われている「インターネット アート これから」展と比較するならば,こちらの展覧会はタイトルに「インターネット」とありながら,インターネットとほとんど接続していないことに,ひとつの特徴がある.「接続する/しない」に関わらずインターネットはそこにあるのだから,「接続しない」という選択をしてもインターネットに関する展示が行えるということである(←このインターネットに「接続する/しない」に関しては「インターネット アート これから」における座談会第1回での畠中さんの発言から).しかし,「接続しない」のにインターネットという考えは,誤解を受けていたりもする.

インターネットがあることが当たり前になって,「接続する/しない」にかかわらず「それがある」というな感覚をもつ,もしくは「それがある」という感覚ももたずに使っているような時代において,アートとインターネットとの関係を改めて考え始めるきっかけを,このふたつの展覧会は投げかけているような気がする.だから,このふたつの展示についてはまだまだ考えることがたくさんありそうである.

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