メモ:選択 同期 すべて
ちかごろ「同期」についてくるくると考えていまして,そんなときに CBCNET の「センボーのブログ」でセンボーさんが「コンピュータ 記憶 シンクロ」という記事を書いていて,とても面白かったわけです.
現時空と完全にリアルタイムにシンクロしていないからこそ,祝祭的な「電脳空間」が生じてくれるということところとかも考えてみたいのだけれど,今回はそこではなくて,そこでないのなら書くなという感じですが,下の引用を考えてみたいというか,読んだときに考えたことをメモとして書いておこうと思ったわけです.思ったときから,だいたい一日という時間がたっているわけですが.
やっぱり、選択的なデータしか記憶しないコンピュータの仕様が、現実/物質とのズレを生んでいるんじゃないかな。もし人間にそんなやついたら信用出来ないもんね(まぁわざとそういうふりする奴いるけどw)それでも人間同士だったら同じ時空を共有したら、同じ程度にすり減ってるような感覚を前提にできるけど、そん時一緒にいたPCくんはファイルとして保存しない限り、データの世界にその時空は刻まれないわけで。
「選択的なデータしか記憶しないコンピュータの仕様」ということを読んだ時に,今のコンピュータって「選択」することで成立しているなと思ったわけです.「カーソル」という「↑」で,画面上のどこか一点を選択して何かをする.センボーさんは「選択的な記憶」ということを言っているのだけれど,その選択的な記憶するために,ひとつ選択行為をしなくてはならない.選択のための選択をし続けるの今のコンピュータなのかな.選択という行為は瞬間的なような気がするので,「すり減った」という感覚も生じないで,常にフレッシュというか,摩耗がないような感じがする.
で,「同期」ということなのですが,「選択」と「すべて」とのあいだには当たり前だけれどそこにはズレがあって,同期ができていない.同期しようとするけど,どうしても同期できない.でも,ここ10年くらい,みんなマウス片手にクリック,クリック,クリックしてきたわけだから,ヒトも選択行為することに慣れてきているのではないかな.選択行為にもなれて,記憶も選択的になってきているのでは? ということまではなさそうだけれど,ヒトにも「選択的なデータしか記憶しないコンピュータの仕様」が流れ込んでくることも起こっているのではないかなと思うわけです.もちろん,ヒトの「すべて」ということが,コンピュータやネット側にも流れ込んでいってもいる.だから,どこかで「同期」するのでは? と思ってしまうわけです.
そして,このふたつの流れが「同期」しているところを現しているひとつの表現が「ポスト・インターネット」という意識とともにある作品なのではないかな.インターネットというデスクトップともつながった選択し続ける「電脳空間」に「すべて」を持ち込んで,同期してみようという感じだろうか.そこでは,インターネットが当たり前になったからこそ,そこにヒトの「当たり前」を持ち込んでみるような試みがなされているのかもしれない.