メモ:メディアアートにおける情報と自然との関係のスライド作り終えた後のつぶやきのまとめ+α

メディアアートにおける情報と自然に関するスライドを作っていたけれど,あともう少し何かが必要な気がする.

けど,身体の外側の情報にはグーグルがでてきて,そのすべてを体系化してしまおうというミッションを掲げた1998年.身体の内側では遺伝子が解読され,身体そのものが情報になってしまった2003年.

グーグルとヒトゲノム解読によって,情報が仮想の中に留まるのではなく,私たちの身体を含めた自然という外に流失するような流れが生じた.四方幸子さんが2005年にキュレーションした「情報としての自然」,2009年の「ミッションG」は,この流れの中で捉えることができるのではないか.

四方さんがキュレーションした展覧会の作品では,だんだん作品の中から直接的なインタラクションがなくなっていっている.これは四方さん自身も書いていることだけれど,その流れの中でヒトと作品との関係を考えると,即時的なインタラクションの作品では,ヒトはある種の神だったと思う.

下の引用は作品の体験者ではなく,作者の言葉だけれど,まさしく「神」になっている.
原理的には,形を定義したら,それをランダムに突然変異させて九つの子供を自動的につくり出します.子供はそれぞれ異なっていますが,隣合ったものどうしの違いはほんのわずかでしかありません.次にアーティストの手で「自然淘汰」をします.「よくない形」を摘み取り,「視覚的に美しい形」を残して,それをさらに繁殖させるのです.(pp.121-123)
コンピュータ彫刻の進化,ウィリアム・レイサム
ヒトがいなければ,作品が成立しないというか,動かないという意味で.それが,特に「ミッションG」の作品では,世界そのものがインタラクティヴで,世界の微細な変化からのデータで作品が成立して,ヒトそのものもデータになっている.ヒトは神でなくなり,データになった.

このブログの人気の投稿

「サブシンボリックな知能」と Doing with Images makes Symbols

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

画面分割と認知に関するメモ

出張報告書_20150212−0215 あるいは,アスキーアート写経について

2046年の携帯電話と2007年のスマートフォンのあいだにある変化(1)

『はじめて学ぶ芸術の教科書 写真2 現代写真ー行為・イメージ・態度』への寄稿

2021~23年度科研費「生命の物質化・物質の生命化に関する理論調査と制作実践」成果報告会

MASSAGE連載09_小林椋《盛るとのるソー》 ディスプレイを基点に映像とモノのあらたな「画面」状態をつくる

ナウシカの世界におけるメディア・コミュニケーション(1)