座談会「『ポスト・インターネット』を考える(β)」が公開されました

2012年3月4日にICCで行われた座談会「『ポスト・インターネット』を考える(β)」が公開されました.前半は私のレクチャーで,後半はインターネット・リアリティ研究会による座談会になっています.長いものですが,「GIF」を中心にとても興味深いものになっています.

「ポスト・インターネット」を考える(β)[前半:レクチャー]
「ポスト・インターネット」を考える(β)[後半:座談会]

このときにほぼはじめて「インターネット・リアリティ研究会」のみなさんに「リアル」にあったのでした.なので,とても緊張感がある感じの話し方になっています.

私自身はこのあとも「GIF」について考え続けて,学会発表論文(査読中)を書きました.GIFを切り口にしてネットを見ていくと,そこにはこれまで目指されてきた「高解像度」の認識ではなく,「低解像度」の認識という方向もでてきているのかなという感じです.

「低解像度」と言えば,この前の座談会「インターネット アート これから つづき」で話題になった「プッシュ通知」.単に「通知」という「オン/オフ」の超低解像度の情報に翻弄される私たちがいたり,Nike+のようにその情報に「ストーリー」をのせることでヒトの気分をコントールできてしまうというのが興味深い.「オン/オフ」の超低解像度ゆえに身の回りに入りこんでくるのを受け入れてしまうし,それゆえに意識にするすると入ってきてしまう.情報技術が進展したのちに,電話のような「プッシュ通知」がでてきたことは考えるべきことだと思います.

このことは改めて考えるとして,「GIF」もまたこの「低解像度」の情報の流れにあるのでは,という話です.それを考える「きっかけ」が「ポスト・インターネット」を考える(β)にはつまっているので,お時間があるときに読んでもらえると,うれしいです.

このブログの人気の投稿

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

お仕事:「MASSAGE 10」に記事を書きました.

[GIF]ボタンに納得がいかない

デスクトップ・メタファーと「ディスプレイ行為」 

各世代の動きをとめてしまう「ベタさ」でしか「インターネットおじさん」を考えることができない

画面分割と認知に関するメモ

マウスとカーソル:カーソルによる選択行為

ラファエル・ローゼンダールの「ガスのような作品」

中途半端な存在|カーソル|コンピュータの身体性