Fragmentation:断片と矢印

断片に「意味」を与える矢印。
←→↑→↓↑
左右上右下上、ではない。
矢印の先への意識。
矢印の先の先への意識。
「矢印の先の先」は、そこには見えないかもしれないし、見えているかもしれない。どちらでも関係ない。
ただ「矢印」があり、「矢印」には「矢印の先」があり、「矢印の先」には、「矢印の先の先」があるだけ。
断片と矢印が組み合わさると、断片は始点・終点になる。矢印は、断片が断片のままであり続けることをできなくする。断片は「何か」になってしまう。にもかかわらず、矢印は、矢印のままである。
そこに矢印はない。そこには、移動し続ける電車、揺れ続けるブランコ、注がれ続ける紅茶しかない。しかし、それらの動きの向きを意識すると、そこに矢印が現れてしまう。それは、どうしようもないこと。

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