「Google で、もっと。Fashion Show with 画像検索」からカーソルを考える
このグーグルのCMをテレビで最初に見たとき,ただ単純にとても面白いと思った.プロジェクターの使い方がいい.センサーとか使ってインタラクティヴな仕掛けをするのではなく,プロジェクターとスクリーンのあいだに,人が立つだけ.単純なんだけれど,プロジェクターとスクリーンのあいだには何も置かないこととというこれまで暗黙の了解みたいなものが,あっけらかんと破られている.
あとはやはりカーソル.グーグルのトップページで検索するときに,スクリーンの前に立つ女の人が,カーソルの移動を追う.このときだけ,カーソルはスクリーンの前に立つ女の人に意識される.あとはまったくカーソルは意識されていない.検索ボタンを押すときだけ,カーソルが意識されるのはグーグルの広告だということもあるけれど,検索窓から検索ボタンに移動するあいだ,カーソルは何もしていない.ただ場所を移動しているだけである.しかし,そんなときに限って,カーソルに注意を向けてしまう.
ファッションショーをしているときは,カーソルは服などが映しているウィンドウを移動させるという役割を追っている.きっちりと役割を果たしているのに,スクリーン前の女の人にはまったく注目されない.MacBookを操作して,カーソルを動かしている女の人は少しは意識しているだろうけれど,他の人はまったく意識されていないかもしれない.それは,服そのもののところではなくて,ウィンドウの端にカーソルがあることと関係していると考えられる.
カーソルがしっかり仕事をしているときには,それに意識がいかなくて,ただ単に移動しているときに限って,カーソルに注意が向けられるということは,この「↑」のイメージの性質:「あいだを移行する」ということを示しているのではないだろうか.カーソルは何かと何かのあいだにあって,役割を担わずに,ただ場所を移動し,役割を移行しつつあるときにだけ,私たちの注意を向けられるイメージなのではないだろうか.