「『薄さ』を与えられた平面」で使われなかったテキスト
きっかけから言えば,平面性という問題なんです.トランプは平面でできています.写真などをはじめとするイメージ画像というものは,平面であることが前提になっていますので,平面的な物はイメージと実体のあいだの行き来が可能ですが,立体的な物は扱い難いんです.その意味で,テーブルとトランプという組み合わせは,イリュージョンを作りやすいということがあったんです.(pp.120-145) -- 藤幡作品を考えるためのキーワードとして「平面」,「投影」,「重なり」があると考える.「投影」は「平面」を必要するし,「投影」すれば「平面」に「重なり」が生じる.「重なり」が生じた「平面」は立体なのではないかという疑問も起こる. 《Beyond Pages》と《未成熟なシンボル》の共通点.記号.行為と出来事.シンボルとオブジェクト.意味と無意味. 本という平面の重なりでできた物体.「平面の重なり」 -- 言語というある意味1次元な連なりが3次元のオブジェを作るのだが,それはひとつだけではなく,多くの可能性のなかのひとつであり,その可能性すべての言葉のつながりは2次元の地図を構成する. -- 平面(?)→立体 「形をめぐる探検隊の残した地図」 ところがここに提示された地図というのはそこでの出来事,プロセスが二次元的に拡げられて示されている.例えば,ヴィデオを再生するようにプロセスをトレースするリニアなヴィデオを再生するようにプロセスをトレースするリニアな「ホット・プロセス」ではなく,ノンリニアに示された「コールド・プロセス」として示されているのだ. この図版はコンピュータに対して行われたすべての行為の時間軸を忘れさせるようなかたちで,フラットにして見せてくれているのである. 密着する平面 -- 《Beyond Pages》は,行為と出来事の地図を立体化した作品なのだ.《禁断の果実》では作品を支えるためにあり表には出てこずに,制作者である藤幡のためにのみ存在していた地図が,3次元化することで観者が体験できる出来事として出てきたのである.ここでも,問題は「平面」と「立体」のあいだの行き来なのである. -- ヒトが言語によってコードを作り上げていて,そのコードに基づいてコミュニケーションを行っているというのが普通の理解である.しかし,ドナルド・ディヴィドソンは言語には...