カーソル:終点|始点→時間的(あるけどなくて,ないけどある)→身体の単一性

.review へのテキストを書いてはプリントアウトして,赤入れて書き直しての繰り返し中.今日は,その間に,どうしても東浩紀さんの『クォンタム・ファミリーズ』が読みたくなったので,買ってきて一気に読んだ.
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インターフェイス関連のところに付箋をつけていった.これはジェスチャー,タッチ,クリックとか.これほど付箋をつけて読んだ小説はないかもしれない.でも,QF で印象に残ったのは,死体の描写とプラスチックの筐体が割れたということ.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/9003695586

@wuperloop 死体の描写は可愛い娘さんがいる東さんよくあそこまで書けたなぁと思いつつ,あれだけ描写したのに精神というか人格はあっさりと別世界へと移行する.プラスチックの方は単なるモノで,描写もアッサリしているのだけれど,それでひとつの精神みたいな存在が無くなる重みをもつ.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/9004510072

テキストを書かないといけないのだけれど,なぜに QF を読んだのか.自分の中では,文学的想像力とコンピュータ的想像力とが交叉するところに QF があるのではないかということを確かめたかったからのかもしれない.読んでみると,精神と身体=モノという対立が一番印象的だったかも知れない.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/9004613354

精神=人格は次々に身体を次々に乗り換えていく.最終的には,身体がモノ化していくような.精神は重層化していくけれども,身体はモノと交換可能なひとつの層に配置されていく.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/9004792639
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今回のカーソルに関するテキストで,本当は,身体のモノ化までいきたかったのだけれど,その前の「身体(行為)の単一性」というところまでしかいけない….「モノ化」とか「単一性」と何となくネガティブな感じがするのだけれど,そうではなくてこれらの言葉を使ってこれまでとは異なる身体を可能にする想像力が生まれているのでは? ということを考えたい.
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GUI とカーソル 1.GUI の中でのカーソル→終点|始点を選択するという能動的行為を行うように設計された記号としてのカーソル
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/9015171127

GUI とカーソル 2.GUI がもたらしたもの→マルチウィンドウ:1つの画面でメディアの重層化を可能にする+マウス|カーソル:行為の単一化=コンピュータ・レイヤーの形成
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/9015241301

カーソルとラメラスケイプ→1.メタファー→類似:メタファーの衰退|相違:身体性のある/なし 2.キャラ→類似:レイヤー・ウィンドウ間の自由な移動|相違:身体性のある/なし
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/9015373053

カーソルとラメラスケイプの構造→ラメラスケイプ:重層的→空間的→身体の喪失|カーソル:終点|始点→時間的(あるけどなくて,ないけどある)→身体の単一性.身体の単一性と消失との違いは?→カーソルの能動性→記号を選択する記号→身体の単一性と記号の緩いつながり
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/9015816182
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自分で書いたテキストを読みかしてきて,やっと書きたいことがはっきりしてきたような.まだ,最後の「身体の単一性と消失との違いは?」は,まだ明確にはなっていない.

でも,「緩いつながり」とか書いてから,ああまた同じところをぐるぐるしているなぁと思ったのであった.はじめてカーソルについて考えたテキストのタイトル「緩やか」という言葉が出てくるのです.ある学会誌に投稿して,エッセイとしては面白いけどもと言われてボツになった「GUI に生じる、緩やかではあるが途切れることのないイメージの相互関係」.今回のテキストはまったく違うことを書こうとしていたのに,なぜかここに戻ってしまってきている.このまま「緩い」という言葉を使っていくかどうか分からないけれど,まだこの言葉に未練があるのかなと思いつつ,記録してここに書いておこう.

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