[インターネット アート これから]の「これから」を考えるためのメモ_02

前のメモで,「群体」という言葉を書いたけれど,ウェブは「もっと,もっと,もっと」とデータを求めているような気がする.『閉じこもるインターネット』には,グーグルに関する以下のような指摘がされている.
グーグル神話において,世界の頂点に上りつめた要因はページランクだとされている.これは,そういうことにしたいとグーグルが考えた結果ではないだろうか.創業者の一方が実現した天才的なひらめきが検索大手の成功をもたらしたとしたほうがシンプルでわかりやすいからだ.しかし当初より,ページランクはグーグルのプロジェクトのごく一部を占めていたにすぎない.ブリンとページがみつけたことの肝は違う───関連性で鍵を握るもの,ウェブにある大量のデータを整理するソリューションとは……もっと多くのデータであるという認識だ.(p.46) 
「もっと多くのデータ」 を,ウェブは求め,グーグルも同じように求める.そしてデータとデータとの関連性を見つけ出して,繋いでいく.単体としてのデータがあつまり,ひとつのクラスターとなって,あたらしい意味を持つようになる.今流行の「ビッグデータ」というものになるのでしょうか.


『閉じこもるインターネット』では,データがまとまっていく側面をウェブを使うユーザの立場から考察して,個人に関するデータが集まると,ウェブのパーソナライゼーションがおこると指摘される.その結果,ウェブは匿名の空間ではなくなり,いつでも「あなた」と名指されるような空間になるとされる.


と,『閉じこもるインターネット』のことが書きたいのではなくて,データが「もっと,もっと,もっと」と増殖していくなかで,GIFアニメも「もっと,もっと,もっと」と増殖していく.グーグルが増え続けるデータの流れを整えたように,GIFアニメの流れをタンブラーが整えたとは考えられないだろうか.いや,タンブラーという流れができたから,増殖していたGIFアニメに流れが生じたというべきだろうか.流れにのったGIFアニメは,流れのなかで次々に増殖していく.


GIFアニメとタンブラーのことは書きたかったけれど,「データの増殖から群体へ」ということでメモしておきたかったのは,[インターネット アート これから]でのエキソニモの《祈》の増殖だった.この作品は最初「ゴットは存在する。」という連作のひとつとして展示されていた.そのときは,単体だった.それが大阪の国立国際美術館で行われた「世界制作の方法」展では,複数の《祈》が円形に配置されていた.今回は,会場の様々な場所に設置されていた.単体から増殖して,群体として展示されるようになった《祈》.空間を満たすための増殖なのかもしれない.

(「空間を満たす」という言葉はどこか引っかかる.データも「空間を満たす」ために増殖しているのか.「空間」ではなくて「記憶容量」か.とにかくデータも何かを埋め尽くしたいのか.「埋め尽くしたい」と思っているのは,私たちか.)

また,[インターネット アート これから]では,パーカー・イトーの《インターネット史上最も悪名高き女性》も増殖していた.こちらは《祈》とは異なり,最初から「群体」という感じがする.二艘木洋行さんのお絵描き掲示板展でも,絵は増えていくし,そして何よりも,ネット上での「話題」が増殖していた気がする.DJぷりぷり=金太郎さんの《金太郎》も,ツイッターでの目撃証言が増えていけばいくほど「金太郎」が出現してくる感じがする.「もっと多くのデータ」のなかに「金太郎」というデータをより多く残すことで,ひとつのリアリティを生み出している.


データが増殖して,グーグルも増殖する.そして,データの流れができる.
増殖したGIFアニメが,タンブラーの流れに乗り,さらに増殖する.
このような流れのなかで,作品も増殖する.単体ではなく,群体として存在するようになる.

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