カーソルへの愛情


The Art of Analog Computing from meltmedia on Vimeo.

デスクトップをすべてアナログで表現してみましたという映像.カーソルもしっかりとボール紙か何かで作られています.その「カーソル」を手でしっかりと持って,アイコンを指さす.手で直接指させばいいところを,わざわざ「↑」を手に持ってそれを行う.こうやってみるとイメージでありながら,イメージを指さす「↑」って不思議な存在ななんだなと思う.

「↑」は手の延長なのか,手そのものなのか,手が「↑」そのものになるのか? この映像の中で,「“ゴミ箱”にある項目を完全に消去してもよろしいですか?」と聞かれて「キャンセル」を選ぶところがある.その選択を「↑」を使わずに,直接,手で行っている.何げないところだけれど,ここは『手が「↑」になっていること』を示していると思う.

机のどこかに放っておかれている「↑」とか,デスクトップ上のカーソルが「リアル」に再現されていると思う.でも,コンピュータをシャットダウンしたときに,フォルダとかアプリケーションのアイコンが消えていって,「↑」が消えるのかとおもったら,なぜか電源ボタンが消えて,最後に「↑」が消える.物理的に存在している「電源ボタン」が消えるなんて全然リアルではないのだけれど,「↑」が最後に消えるということになっていることが,GUI を採用した今のコンピュータと長く接してきた人の気持ちみたいなものを表しているのではないかと思う.自分と一番密接なものが最後まで残って欲しいと言ったような.カーソルへの愛情とも言えるようなものかもしれない.

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