データ-主観性

For me, the real challenge of data art is not about how to map some abstract and impersonal data into something meaningful ── economists, graphic designers, and scientists are already doing this quite well. The more interesting and, in the end, maybe more important challenge is how to represent the personal living in a data society. If daily interaction with volumes of data and numerous messages is part of our new "data-suybjectivity," how can we represent this experience in new ways? How can new media represent the ambiguity, the otherness, and the multi-dimensinality of our experience beyond the already familiar and "normalized" modernist techniques of montage, surrealism, and the absurd, for example? In short, rather than trying hard to pursue the anti-sublime ideal, data visualization artists should also not forget that art has the unique license to portray human subjectivity ── including its fundamental new dimension of being "immersed in data." (p.9)

DATA VISUALIZATION AS NEW ABSTRACTION AND AS ANTI-SUBLIME, LEV MANOVICH in Small Tech: The Culture of Digital Tools

私にとって,データアートの真の挑戦は,いくつかの抽象的で,非個人的なデータを意味を持つ何かにどのように変えるのかということではない.これは,経済学者やグラフィック・デザイナー,科学者が既にとてもうまく行っていることである.もっと興味深く,最終的にはもっと重要な挑戦になるだろうことは,データ社会の中での個人の生をどのように表象するかである.もし大量のデータとメッセージとの日々のインタラクションが,私たちの新しい「データ-主観性」の一部だとしたら,どのようにしてこの経験を新しい方法で表象できるだろうか.例えば,モンタージュ,シュールリアリズムや不条理といった私たちが既に親しんでいて「普通になっている」近代的技法を超えた形で,ニューメディアが人間の経験におけるあいまいさや,他性,複数の次元をどのように表現できるだろうか.つまり,データ・ヴィジュアリゼーションのアーティストは,アンチー崇高の理想の追求に挑戦するよりもむしろ,アートが人間の主観性,ここには「データに浸っている」存在の根本的に新たな次元が含まれているであろう,をありのままに表現する独自の自由を持っていることをやはり忘れるべきではない.

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