アウトライン+メモ:カーソル/身体性の「ある|なし」/モノ|データ|映像

.review のためのアウトラインをノートに殴り書きして,それをツイートしたもの+最後に気になった部分を考えるためのメモ.ツイートするときにやはり書き直しが入るので少しずつ考えが流れになってきている感じがする.今度は,これをノートに写して,そこに長めの文章を書いてみよう.
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アウトライン
1.カーソルについて論じる.→2.先行研究として須永さんの論文.身体の代理記号としてのカーソル.→そうではなくて,「身体」の新たな在り方としてカーソルを捉えるべき.身体を情報空間の中に単なる位置情報に縮減して置くための装置としてのカーソル.
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3.このことを考えるために斉藤さんの「ラメラスケイプ」論文を参照する.→なぜに文学的想像力でカーソルを説明するのか?→レフ・マノヴィッチによるコンピュータ・レイヤーと文化的レイヤーによる相互浸透の指摘から.認識の重層化. コンピュータ⇔文学的想像力.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/statuses/8848275095

ラメラスケイプの中で考えるカーソル.カーソルに密接に関係するデスクトップ・メタファー.身体性を帯びたメタファーの1つの構成要素としてのカーソル.ウィンドウの重なりを自由に移動するカーソル=身体性が欠如したキャラとしてのカーソル.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/statuses/8848549808

デスクトップ・メタファーを「メタファー」として意識しないことと,ラメラスケイプの中で「比喩」が歴史的使命を終えたこと.でも,カーソルはメタファー以前に,マウスというモノに身体的に繋がっている.メタファーが機能しなくなった後も身体との関係を保つカーソル.
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「メタファー」が機能しなくなった後も身体との関係を持ちつつ,キャラ化し,ウィンドウの間を自由に行き来することができるカーソル.身体性が「あるかないか」ではなく,その2つが重なり合っているのがカーソル.
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4.では,カーソルに身体性の「ある|なし」重ね合わせを許しているのは何なのか? それを考えるために,東さんのGUI 論を参照.すべてはみえるものに留まっているGUI では,目と言葉,イメージとシンボルの処理にズレが生じている.
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このズレを調停するために,それを跨ぐ,イメージでもシンボルでもなく,私たちが操作できる・触れることができる単なるモノを画面上にデザインすることが必要.それが,←の形をもったカーソル.
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←:カーソルは,触れることができるモノであると同時に,位置座標としてのデータであり,ディスプレイに映される映像でもある.この何にでもひょいひょいと自らを変位させてしまうカーソルによって,私たちの身体は軽々と単なる位置情報としてデータの中に位置づけられる.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/statuses/8849386519
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メモ
最後の「モノ|データ|映像」という3つの項目の関係はいいのだけれど,ここでの「映像」と,「イメージ|シンボル」におけるイメージとの区別がつけにくい.というか同一なのか.モノ⇔シンボル|映像⇔イメージ.
ところが,コンピュータの中でさまざまな可能性を検討しているときは,こうした発想が山ほど出てきます.それは物質性をともなっていないので,机に石をネジ止めすることができませんが,その代わりにそれを石と思わせることもできません.つまり,問いかけが成立しない.どうしたら前述したように「ゴミ箱」がゴミ箱に見えるのかということに意味を見出していかなくてはならないというところがある.で,結論としては,ゴミ箱がゴミ箱に見えるためには,いらなくなったものをそこに持っていったときに,パシュッと消える場所であることを繰り返し体験させる必要がある.その出来事によって初めてゴミ箱が出現するのです.要する,インタラクティブな体験が起こることによって,初めてたただのイメージがシンボル(オブジェクト)になるのであり,記号として発生して立ち上がっていくんだと思うんですね.こういう出来事が,言語による体験とは異なった場所で,非常に具体的にユーザー自身が起こしていくということで発生しているということが,面白くてしょうがないのです.(p. 117)
不完全さの克服:イメージとメディアによって創り出される,新たな現実感,藤幡正樹
藤幡さんは,シンボル≒オブジェクトで,オブジェクト⇔モノ? 言語体系の中に入ってくると言えばシンボルだけれど,ディスプレイ上ではそれは言語ではなくてイメージの操作で行われるわけで,そうすると触れることができるようなモノに近くなる.しかし,ここでゴミ箱にいらなくなったものをもっているカーソルは言及されていない.カーソルは,まず何も意識しないうちに,私たちの身体と関係をもち,イメージがシンボル(オブジェクト)化⇔モノ化されるがゆえに,意識にあがりにくいと考えられないだろうか.
物と物の因果関係
ちょっと慣れない考え方だが,「物」であるということはどういうことだろうか? 物としてこの世界に存在している限りは,何か他の物となんらかの関係性をもっているはずだ.皿やコップといった陶器が土からできていて,ノートの紙が木からできているように,その生成には,必ず由来があるし,それらはふだん机という人工的な平面の上に置かれている.一見重力から自由に見える飛行機でさえ空気の支えによって浮いているのだ.物には常に他の物との因果関係があり,それ自体が独立してあるということはないということだ.

デジタル・メディア上のイメージが物として看取できるのは,その背後にそれを支えている関係性が提示されたときではないだろうか.それ自体のデータだけではなく,そこに至るまでの因果関係が定義されている必要がある.一見意味のわからないイメージであったとして,つまり,その背後の関係性がそのデータを見ただけでは理解できない状態であっても,それとインタラクティヴな環境を通して戯れることで,イメージの背後にある関係性が見えてくるときに,イメージに明確な意味が生まれ,イメージがイメージではなくなるのだ.一時期,カオスや複雑系の研究者が,インタラクティヴなデータ・ヴィジュアライゼーションに興味をもったのはこういう理由が背後にあったのだ.数学的なシミュレーションを身体的に理解する手段として使えると直観したのである.(pp.259-260)
不完全な現実:デジタル・メディアの経験.藤幡正樹
もうひとつ藤幡さんからの長い引用. カーソルの背後に私たちの身体があること.そして,私たちの身体も独立してあるのではなくて,多くの関係性の中にあることによってモノとして存在している.そのモノとしての身体と関係をもったカーソルがイメージからモノ化する.そのとき,私たちの身体とカーソルとは大きな因果関係の中のデータとなる.しかし,私たちの身体が行ったこととカーソルがディスプレイ上で行うことに本当に因果関係はあるのか.私たちの行為は,マウスやカーソルにやってアナログからデジタルへと変換されていく.身体とカーソルとを結びつけるデータは,アナログとデジタルという2つの形式の間を行き来するのだ.複雑系の研究者である池上さんは次のように書いている.
ひとつの運動のスタイルから別のスタイルへの変遷を因果的に捉えても理解できない.これは因果的というより,“the way thing go”(なりゆき)的なのである.しかし,実はそうした多重なアフォーダンス(可能な行為の束)こそ知覚の本質なんだということを論じた.(p.218)
動きが生命をつくる,池上高志
因果関係と“the way thing go”(なりゆき)のどちらが身体とカーソルに間に起こっているのかはまだ考えがまとまらない.私は以前,コンピュータ上のイメージと身体とは(見せかけの)因果関係で結ばれているということを考えたが,どの考えであっても,私たちの身体もカーソルも独立しては存在するものではなく,大きな関係,データの流れの中に単なるモノにすぎないものだと考えたい.そして,身体とカーソルはモノとして同値であるから,入れ替えが可能なのである.
どうです、まさに大きくなったiPadの出番! 指がカーソルです。このシンプル操作感は、たとえアップルが出してるiMacやMacBookでだって無理ですね。
http://www.gizmodo.jp/2010/01/_ipad_is_not_fail.html 
Not so with the iPhone. I've seen that thing understood within minutes by 2 year-olds and 84 year-olds. It does one thing at a time. Your finger is the cursor. There is no need to tap things twice before stuff happens. You are allowed to turn it off with the power button.
http://gizmodo.com/5458855/the-apple-ipad-is-for-old-people 
最後に英語で書いたものですが,「見せかけの」因果関係について:What You See Is What You Touch? Double description of seeing and touching in ‘Display Acts’

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