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tumblrmemo900-999

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memo900 ​​モノとイメージとを一元的に扱うための平面,あるいは支持体として記号的なデータが存在する.そしてそれらは,表裏一体の存在になっている.それがもっともはやい段階でかたちとなったのがディスプレイである.モノと画像という二項対立を支えるソースコード/データという構造.データは表裏一体を形成する平面を透過してモノと画像とソースコードとのあいだを行き来する.​​モノとイメージとがソースコード/データという平面と表裏一体の存在になった.モノ|イメージ=光とソースコード/データとがひとつになったかたちとしてスマートフォンがあり,それを手にもつヒトがいる. 清水さんの『実在への殺到』を読んでいたときにでてきた「経験一元論」と「記号一元論」とその先のアニミズム的世界.このことをいち早く見せていたのが,コンピュータと接続したディスプレイだと考えられる.そして,今,ディスプレイはコンピュータが解放され,「経験一元論」と「記号一元論」とが表裏一体に重なり合う理念的な場になりつつある.モノとしてのディスプレイが理念的なディスプレイ場へとスライドして,ソースコードはあらゆる記号的存在に書き換えが可能であることが示されつつある. ​​ディスプレイにおいて,モノとイメージとの二項対立がソースコード/データによって操作可能になる.そして,モノであるディスプレイ自体に「霊=データ」が宿るようなアニミズム的状況が生まれる.この状況はディスプレイにとどまることなく,他のモノにも波及していく.そこで生じるのがディスプレイ場というモノとイメージとを一元的に扱える場なのである.ディスプレイでイメージを自由に扱うように,モノが操作されていく.世界のディスプレイ化といえるかもしれない. ​​モノとイメージ,そして,それらを照らす光は物理空間に遍在している.あとは,これらにちょっとした変化をあたえると,モノの変化が光を変化させ,イメージを変化させて,さらに,モノを変化させて… という循環的な連鎖反応が物理空間に起こる.そのなかでディスプレイはソースコード/データと一体化した存在として特別なものでなくなり,あらゆるものがソースコード/データと表裏一体の存在となっていき,世界のモノとイメージとそれを包む光の関係を変えていく. memo901 紀要論文は新視覚芸術研究会の発表をテキスト化しようと思い始めて...