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2020の投稿を表示しています

2020年の振り返り

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2020年にはこの投稿を含めて13本の記事を書いています.2019年が16本だったから,少し減ってしまいました👻 ちなみにnoteには38本の記事を書いているので,合計して51本の記事を書いたことになります.2019年は98本の記事を書いていたので,だいぶ減っていますね🥲  2020年は MASSAGE で「 サーフェイスから透かし見る👓👀🤳 」の連載を引き続き書きましたが,終わりませんでした.2本しか書けなかったです.新型コロナウィルスの影響で展示を見に行けなかったのが影響しているのは確かですが,もっと書けたのではと思います.. MASSAGE連載09_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/バルクとサーフェイスとがかき混ぜられたあらたな認識 MASSAGE連載10_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/現れたり、消えたりする確率的なバルクとサーフェイス🎲 MASSAGEでずっと連載をしていて,とても嬉しいことがありました.それは連載5回目「 バルクと空白とがつくる練り物がサーフェイスからはみ出していく 」 で哲学者の入不二基義さんの『 あるようにあり、なるようになる 運命論の運命 』を参照して「空白」についてのテキストを書いたのですが,入不二さんの『 現実性の問題 』に「 また,水野勝仁が,私の「空白」論も参照しながら,「空白」についての考察を興味深い方向へ発展させている (第9章 注 p. 335)」と書かれていたのです✨ 入不二さんの哲学は概念がどんどんドライブしていって,気がつくとどこか遠くの場所に連れて行かれて,見たこともない世界を体験できるので,とても好きです.そんな入不二さんの本に 私の名前が 出てきて,びっくりするとともに,とても嬉しかったです.入不二さんの文章とは異なるけれど,私も読んでくれた人が体験している世界が一変するようなテキストが書きたいです☺️ 論文は紀要論文を1本書きました. 紀要論文「「シミュレートされた重なり」という奇妙な像客体」 紀要論文は写真について書いたものですが,写真についての連載を FOUR-D notes ではじめました.写真とはいっても,ピクセルで埋め尽くされたディスプレイがつくる「情報源」として「写真」を考える感じになっています. FOUR-D notes で連載「フラットネスをかき混ぜる🌪」を始め

ユリイカ2021年1月臨時増刊号 総特集=戸田ツトムへの寄稿💻「液晶状のインターフェイスが生み出すあらたな視触覚」

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『 ユリイカ2021年1月臨時増刊号 総特集=戸田ツトム 』 に「液晶状のインターフェイスが生み出すあらたな視触覚」を寄稿しました. テキストでは,戸田ツトムさんの『電子思考へ……』を読み解きながら,「戸田ツトム」をインターフェイスとして考えて,ヒトとコンピュータとのあいだで起きる感覚の変化を考察しています.その際に,戸田さんが向かい合っていた液晶ディスプレイの「液晶」というモノの状態を参照しています. コンピュータはひとつのディスプレイ上に,概念的な平面とゴミ箱が置かれた街角のような空間を同時に混在させる.空間性不要のウィンドウでもスクロールツールによって全体の平面内をなぜか文字列がパンする.同様に「平面」上でウィンドウが重なり,後ろに回り,別ウィンドウの上を通過したり….平面に存在し得ない状況の様々である.「絶対の平面・空間に置かれた平面・深さと線遠近法的な性格をある程度もった平面」,これら言わば乱層するデスクトップを,ユーザーはそれほどのストレスや戸惑いを感じることなく受容し得た.これは驚くべきことではなかった?  戸田ツトム『電子思考へ……──デジタルデザイン,迷想の机上』 (日本経済新聞社,2001),p. 20-21. このテキストを書いてみて,私が以前から引用していた戸田さんの「乱層するデスクトップ」の意味がより実感できたと思っています.それは,戸田さんが好んで取り上げていた「屈折」という現象をとおして「乱層するデスクトップ」を見ることができたからです. 私のテキストの前に久保田晃弘さんの「線を引くことから陰影へ──ピクセル・ノイズ・ハーフトーン」が掲載されています.私がヒトとコンピュータとのインターフェイスを考えるときは,いつも久保田さんのテキストが念頭にありました.戸田さん,久保田さんという,私がインターフェイスを考える際にいつも意識していた二人とともに自分のテキストがあるというのがとてもうれしいです☺️

香月恵介・HouxoQue 二人展「NOUMENON」についてのテキスト「絶望的に孤独な外部から見える光の空間」

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  飯盛希さんが2018年にキュレーションした香月恵介・HouxoQue 二人展「NOUMENON」についてのテキスト「絶望的に孤独な外部から見える光の空間」が,飯盛さんのWebページで公開されました. Houxo Queの作品が放つ光が香月恵介の作品に反射し,香月の作品から反射した光がQueの作品から放たれる光と合流する.Queと香月のそれぞれの作品から放たれる光が重なり合う空間に鑑賞者はいる. Queさんと香月さんというともに「光」を扱う作家がつくる光の空間を見ているというテキストになっています. こちらから見ると映像の記録画像とともにテキストが読めます👀 ✨ http://ngmrsk.jp/curation/2018-06b/

「フラットネスをかき混ぜる🌪(2)二次元平面と三次元空間とが現象として立ち上がらないパターンを示す「写真」🌫」が公開されました

写真評論を毎月発信していく「FOUR-D notes」で,「フラットネスをかき混ぜる🌪」という連載をやっています.2回目のタイトルは「二次元平面と三次元空間とが現象として立ち上がらないパターンを示す「写真」🌫」で,「ルーカス・ブレイロック」の写真をきっかけにして,二つのフラットネス:物質的フラットネスと現象的フラットネスについてのお話です.途中まで無料で,その先は有料となっています. フラットネスをかき混ぜる🌪(2)二次元平面と三次元空間とが現象として立ち上がらないパターンを示す「写真」🌫 文:水野勝仁 FOUR-D notes について / 総目次 年末年始のお供に,どうかよろしくお願いします🙇‍♂️

UDL Podcast #1_memo

エキソニモ個展「UN-DEAD-LINK」で「UDL Podcast #1 (ゲスト 水野勝仁)」が公開されました😊 UDL Podcast #1 (ゲスト 水野勝仁) – UN-DEAD-LINK | INTERNET エキソニモ作品,展示について,キーワード「#Interface」で1時間近く話しています. ポッドキャストに参加するために書いたメモです. https://www.dropbox.com/s/17k54exwxc6h0kt/UDL%20Podcast%20%231_memo.rtf?dl=0

「HIVEを用いた「光とメディア・アートとの関係の考察」」を書きました👀

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「HIVEのすゝめ」の第4回目として「 HIVEを用いた「光とメディア・アートとの関係の考察 」」を書きました.学生になった気持ちでHIVEを見たけど,最後は教員というか,いつもの研究者モードになっていました👀 水野が行った夏の課題としてお読みいただけると幸いです🙇‍♂️

MASSAGE連載10_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/現れたり、消えたりする確率的なバルクとサーフェイス🎲

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MASSAGEの連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」,第10回「 現れたり、消えたりする確率的なバルクとサーフェイス🎲 」を書きました✍️✍️✍️ 2019年にトーキョーアーツアンドスペース本郷で展示された YOF の《2D Painting [7 Objects, 3 Picture Planes]》を考察しました.この作品を見たときに感じた不思議な感じを言語化するためにずっと考えていたら,すごく時間が経ってしまいました.YOFの「ピクセル」を基点とした「ヴァルール」という色彩のあり方から「情報」と色彩ということ考えるなかで,モノのバルクとサーフェイスが「モノ」的なものから「情報」的で確率的なあり方に変化していくということを書きました. 画像を提供してくれたYOFの古澤さん,大原さん,柳川さん,ありがとうございました🙇‍♂️ カワイさんのタイトル画像の真ん中に位置する白い面のようで,その奥にさらに空間が広がっているような面がとても気になっています. YOFの《2D Painting [7 Objects, 3 Picture Planes]》を見たときに感じた不思議さを描いてもらっているような感じがしています.

FOUR-D notes で連載「フラットネスをかき混ぜる🌪」を始めました😊

写真評論を毎月発信していく「FOUR-D notes」で,「フラットネスをかき混ぜる🌪」という連載を始めました.1回目のタイトルは「二次元平面でも三次元空間でもないフラットネス🚥」で,「ピクセル」についてのお話です.途中まで無料で,その先は有料となっています. フラットネスをかき混ぜる🌪(1)二次元平面でも三次元空間でもないフラットネス🚥 文:水野勝仁 FOUR-D notes について / 総目次 ここ2,3年,「写真」について考えることが多くなってきたところで,FOUR-Dの主宰者の猿渡洋平さんから「FOUR-D notes」に参加しませんかと声をかけられました.これまでの写真評論と私がやっているインターフェイス・情報という視点からの写真への考察を「正しく出会わせたい」という猿渡さんの言葉が印象的でいいなと思って,「FOUR-D notes」に参加させてもらいました. 隔月で書きたいと思っていますので,これからどうかよろしくお願いします🙇‍♂️

MASSAGE連載09_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/バルクとサーフェイスとがかき混ぜられたあらたな認識

MASSAGEの連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」,第9回「 バルクとサーフェイスとがかき混ぜられたあらたな認識 」を書きました✍️✍️✍️ 「非常にはっきりとわからない」展が注目を集めて,多くのレビューも書かれている目の作品《景体》について書きました.目の前にある 「黒いモノ」が,どうして「海」として認識してしまうのか.切り取られた海は「海」なのだろうか,ということを考えていくと,《景体》は,私たちの認識に圧力をかけているのではないかということを書いています. カワイさんのカバーイラストで,2本の黄色棒が主役のように立っていますが,それぞれの影を少しずれているように見えます.また,その奥にある白い面から 2本の黄色棒が抜け出たようにも感じられます.いや, 2本の黄色棒のあいだに白い面があったかもしれないとも思えます.カバーイラストを見ていると,切り離された黄色い棒と白い面とのあいだになぜか連続性を見てしまう.ここに認識への圧力が感じられるのではないでしょうか 😊

Poi vol.3 featuring Kazuhiro Jo_PDF とPDF版のPoiの置き場のご案内

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先日,「 Poi vol.3 featuring Kazuhiro Jo 」の紙版の完成をお知らせしましたが,PDF版もすぐにできました.これを機にPDF版のPoiの置き場📚をつくりました.どんどんダウンロードしてください🙇‍♂️ PDF版のPoiの置き場📚 https://www.dropbox.com/sh/3qidkzvrf3j8xao/AAAgUrhHBQ_f6XduSXIrU3zZa?dl=0

紀要論文「「シミュレートされた重なり」という奇妙な像客体」(追記_2020/05/29)

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紀要論文「「シミュレートされた重なり」という奇妙な像客体」が掲載された 「甲南女子大学研究紀要Ⅰ 第56号」が刊行されました. 追記_2020/05/29 甲南女子大学学術情報レポジトリに論文の PDF が公開されました👀 紀要論文の要旨です. 本論考は,ヒトとコンピュータとが操作を展開する平面であるディスプレイにおいて,「シミュレートされた重なり」という奇妙な像客体が生まれているということを示すものである.そのために,先ずはデジタル写真が一つの平面と複数の平面の重なりが同時に成立する奇妙な表現になっていることを考察していく.次に,哲学者の田口茂の論考を経由して,デジタル写真の奇妙な表現がディスプレイで生じている視覚と触覚の「拮抗・抗争」から生み出されていることを明らかにする.さらに,理学者の郡司ペギオ幸夫の論考を参照しながら,ディスプレイで「奥行き」と「向こう側」という二つの異なるリアリティが同一平面で隣り合って「拮抗・抗争」を起こしていることを示す.私たちはディスプレイでの「拮抗・抗争」に否応なく巻き込まれて,そこに「シミュレートされた重なり」という奇妙な像客体を見るようになっているのである. この紀要論文は 日本映像学会写真研究会 の第4回研究発表会で発表した「写真の「向こう側」を考える」がもとになっています.発表原稿はnoteにあげました→ 154:写真の「向こう側」を考える いずれ甲南女子大学の学術情報リポジトリにPDFが掲載されると思います.紙で読みたいという方がいましたら,以下のフォームから申込ください.抜き刷りを発送します🌫 🌫 🌫 読み込んでいます…

Poi vol.3 featuring Kazuhiro Jo

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Nukeme さん,  渡邉朋也 さんと特集してきた「Poi」の第3号「 Poi vol.3 featuring Kazuhiro Jo 」が完成しました. 科学研究費の研究グループ「ポストインターネットにおける視聴覚表現の作者性にかんする批判的考察」は,3年目にアーティスト・研究者の城一裕さんの活動を追ってきたのですが,「Poi」としてはまとめることができずに研究期間が終わってしまいました. しかし,科研の研究リーダーだった松谷容作さんが 令和元年度國學院大學特別推進研究助成「今日的なメディア・アート状況下における理論と制作の対話に向けた新たな概念の構築」 を獲得してくれたので,城さんの活動を「Poi」にまとめることができました. 目次は以下の通りです. 今回は,城さんの活動をまとめるだけではなく,「Poi」の活動そのものへの批判的考察として,「Poi」の活動に常に力を貸してくれてた田川莉那さんに「 ポストインターネットにおけるアートを批判的に判断するための前提の考察 」を寄稿してもらいました.また,デザインはいつもの増田展大さんから,同志社女子大学の大島千佳さん,加藤綾羽さんに変わっています. 私の手元に23部配布できるものがありますので,希望者の方は以下のフォームに記入をお願いします😊 また,後ほど,PDF版も配布予定です🙇‍♂️→ PDF版のPoiの置き場🗃 https://www.dropbox.com/sh/3qidkzvrf3j8xao/AAAgUrhHBQ_f6XduSXIrU3zZa?dl=0 読み込んでいます…

『メディア芸術・研究マッピング メディアアート研究の手引き』への寄稿

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「文化庁メディア芸術連携促進事業」の一環として2017年刊行されている「 研究マッピング 」シリーズの 『 メディア芸術・研究マッピング メディアアート研究の手引き(PDF) 』に「 「1990年代のネットアート」の当時と今 」というテキストを書きました. このテキストのリサーチで以下の文献を見つけました. 大榎淳「インターネットとアート/表現の可能性と限界」,『季刊 インターコミュニケーション 13号 特集:インターネットの政治経済学』,NTT出版,1995,92-95頁. 1995年に書かれた大榎のテキストが,あいちトリエンナーレ2019をめぐる状況と重なっていたことから, 「「1990年代のネットアート」の当時と今」というタイトルにしようと考えました.2020年となった「今」,早めに読んでもらえるとうれしいです.そして,20年後に,私のテキストも参照されて 「「1990年代のネットアート」の当時と今」が書かれるといいなと思っています. また,馬定延さんが編集した「初学者のための重要文献」に,私の博士論文「 GUIの確立にみる「ディスプレイ行為」の形成過程 」が挙げられています.うれしい😊