MASSAGE連載09_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/バルクとサーフェイスとがかき混ぜられたあらたな認識

MASSAGEの連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」,第9回「バルクとサーフェイスとがかき混ぜられたあらたな認識」を書きました✍️✍️✍️

「非常にはっきりとわからない」展が注目を集めて,多くのレビューも書かれている目の作品《景体》について書きました.目の前にある「黒いモノ」が,どうして「海」として認識してしまうのか.切り取られた海は「海」なのだろうか,ということを考えていくと,《景体》は,私たちの認識に圧力をかけているのではないかということを書いています.

カワイさんのカバーイラストで,2本の黄色棒が主役のように立っていますが,それぞれの影を少しずれているように見えます.また,その奥にある白い面から2本の黄色棒が抜け出たようにも感じられます.いや,2本の黄色棒のあいだに白い面があったかもしれないとも思えます.カバーイラストを見ていると,切り離された黄色い棒と白い面とのあいだになぜか連続性を見てしまう.ここに認識への圧力が感じられるのではないでしょうか😊

このブログの人気の投稿

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

メモ:「貧しい画像」はもうない

2046年の携帯電話と2007年のスマートフォンのあいだにある変化(1)

画面分割と認知に関するメモ

出張報告書_20150212−0215 あるいは,アスキーアート写経について

モノのフラットデザイン化とアフォーダンスなきサーフェイス

メタファーと身体の関係

「グリッチワークショップ」を見学して考えたこと

インターフェイス再考:アラン・ケイ「イメージを操作してシンボルを作る」は何を意味するのか.

『表象18』の共同討議「皮膚感覚と情動──メディア研究の最前線」に参加