出張報告書_20160905-10_ベルリンビエンナーレについての報告のはずが…

9月5日.定刻より遅れて11時に関西国際空港を出発したKLMオランダ航空868便でアムステルダム・スキポール空港に行き,KLM1833便に乗り換え,同日18時にベルリン・ゲーデル空港に到着した.その後,バスと電車で,今回の宿泊先であるManuel Roßnerの家に向かった.

9月6日.今回の出張の主目的である「ベルリンビエンナーレ」の会場がすべてクローズだったため,午前中はManuel Roßnerがオーナーを務めるオンラインギャラリーの英語テキストを日本語に翻訳する作業を行った.午後からハンブルク駅現代美術館に行き,5つの展示を見た.その中で,ベルリン在住のJulian Rosefeldtによる「Manifesto」という作品が印象に残った.この作品は,13のスクリーンを使った映像インスタレーションで,プロローグとなるひとつのスクリーンを除いた12のスクリーンには,同一の女優が演じた学校の先生,振付師,ニュースキャスターなどの12の職業の女性が日常業務を行っている様子が映されている.最初は単なるドキュメンタリーぽい映像だと思っていたのだが,いきなり12のスクリーンの映像すべてで女性が同時に叫びだす.それは「未来派宣言」などの美術運動の「マニフェスト」となっている.複数の映像を用いた作品は多くあるけれど,この作品のように効果的に複数のスクリーンを使っているものは少ないので,とても強く印象に残っている.

9月7, 8日はベルリンビエンナーレの4会場を回った.ニューヨークのアートコレクティブDISがキュレーションした今回のビエンナーレは否定的な意見が多い.それは「ポストインターネット」というインターネット以後の価値観でまとめられるような「空虚さ」を,DISのキュレーションとその作品群が示しているからであろう.メイン会場であるAkademie der Kunsteには,どこからか音楽が流れ,入り口にはファッションブランドの展示が行われているような感じになっている.アートというよりは,ショッピングモールのような感じである.「ポストインターネット」というアートの流れを追ってきた私自身も,ビエンナーレの4会場をめぐりながら,どこか薄っぺらく,何を問題にしているのかわからない感じを受けた.作品もJulian Rosefeldtによる「Manifesto」のような強い印象をもったものもあまりなく,そして,私自身がビエンナーレに求めていた「インターネットを物理空間に置いて,認識のズレをつくる」ような作品もほとんどなかった(追記:ほとんどないであって,なかったわけではありません.個別の作品については別に書けたらと思っています).しかし,ビエンナーレのカタログに記されていたDISの「私たちの目的はシンプルである.つまり,不安について語るのではなく,人々を不安にさせよう」というテキストを読んで,この空虚さに少し納得がいった.DISがしたかったのは,現実に起こっている様々な問題について語ることではなく,キュレーション及び作品がもたらす空虚さによって,鑑賞者を不安に陥らせることだったのである.

9日朝9時のKLM1822便でアムステルダムに向かい,スキポール空港でKLM867便に乗り換え,10日朝9時前に関西国際空港に到着した.

[科学研究費基盤研究(C)「ポストインターネットにおける視聴覚表現の作者性にかんする批判的考察」研究課題番号:15K02203 研究代表者:松谷容作(同志社女子大学)]

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