お仕事:『“TOKYO”───見えない都市を見せる』への寄稿(もうひとつのパラレルワールド追記)


東京都現代美術館で開催されている展覧会「“TOKYO”───見えない都市を見せる」のカタログに,ポストインターネットについてのテキスト「ポストインターネットにおける3つのデフォルト:OS/イメージ・オブジェクト/オンラインギャラリー」を書きました.

10年以上東京から離れていて,主にインターネットのなかで考えていた私にとっては,東京とインターネットとの結ぶつきを考えることはとても難しい作業でした.カタログに掲載されているテキストは,難航した作業のA面のようなものです.A面は書籍というリアルな物質に定着されたので,是非展示を見に行って,カタログを買って読んでもらえるととてもうれしいです!

ということで,掲載したテキストにはB面が存在します.B面は紙に定着することがなかったので,イメージオブジェクトが提示するようなパラレルワールドとしてインターネットに載せておきます.

追記:2015.12.12
もうひとつのパラレルワールドとして,展覧会で「ポストインターネット」のキュレーションをしているEBM(T)のナイル・ケティングさんが展示に採用されなかったテキストをインタビューであげています→EBM(T)ロングインタビュー――平成生まれのバーチャル聴覚室主宰ユニット、ナイル・ケティングと松本望睦に聞く「アート、TOKYO、同時代」

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デフォルトの先のポストインターネット:ネット/リアルに最適化した表現

2008年にアーティスト・批評家のマリサ・オルソンがインタビューで言った「ポストインターネット」という言葉は,オンラインとオフラインとの区別がもはや存在しないことを意味していた(1).7年経った現在において「ポストインターネット」は,アートワールドのバズワードのひとつとなり,単に「インターネット」を感じさせる作品を指す言葉になっている.この言葉のアートワールドへの浸透を考えるには,2007年にガスリー・ロナガンがブログに書いた「ハッキング vs デフォルト」(2)を参考にすると見通しがよくなる.ロナガンはインターネットアートの第一世代であるnet.artの特徴をソフトウェアやインターネットの「ハッキング」とし,対して,ポストインターネット世代の特徴は「MSペイント」といったデフォルトのソフトウェアを使うことだと指摘した.そして,ポストインターネット世代のアーティストはディスプレイに同じものを見ていること自体をデフォルトとして受け入れている.インターネットやディスプレイに映っているものを絵具などのメディウムと同じように扱うことが当たり前になったのである.

だが,ポストインターネットはデフォルトの先を既に求めている.そのひとつの例が,リアル展示のオブジェクトとネットに拡散していく作品画像の関係を扱うアーティ・ヴィアーカントのプロジェクト「イメージ・オブジェクト」である.このプロジェクトは,ギャラリーに展示されたPhotoshopで制作された鮮やかなグラデーション画像のレリーフとネットにアップされたPhotoshopのコピースタンプツールでギャラリーの壁面や床の一部をレリーフのグラデーションに置き換えた画像から構成される.ヴィアーカントはコピースタンプツールを使って同一空間に多くの複製空間を組み込み,リアルと密接に関係しつつも奥行を喪失してどこかズレを抱え込んだ作品空間をもつ画像をつくり,ネットに拡散させる.

ヴィアーカントに影響を受けて,リアル空間との関係を保ちつつ作品の見え方をネットに最適化する試みが出てきている.テイバー・ロバックは3DCGで制作した空間をバーチャルカメラで作成した高精細映像を作品としている.作品に3DCGを用いることは今では珍しくないが,ロバックの作品が興味深いのは複数のディスプレイを組み合わせている点と自身のサイトでの作品の見せ方である.作品をプロジェクターで投影するのではなく,複数のディスプレイを使うことで必然的に作品がディスプレイのフレームに分割されることになる.この分割によって映像がフレーム内の現象であることが強く印象づけられる.ネットでは,複数のディスプレイ自体が3DCGでつくられそこに作品映像が表示される.そして,その3DCGのディスプレイが置かれているギャラリー空間も3DCGでつくられている.作品映像,ディスプレイ,空間のすべてが3DCGで制作されており,それらをバーチャルカメラで撮影して,作品のモックアップとしてネットで公開している.バーチャルカメラは引きでモックアップ全体を見たり,ズームアップしてひとつふたつのディスプレイのみを映すときもある.バーチャルカメラの滑らかな移動によって,見ている映像がリアル展示の記録ではなく3DCGというリアルトは別の空間に含まれた作品モックアップであることを意識させられ,作品を含んだ空間そのものが歪んだような感覚になる.ロバックはインターネットに最適化した作品の見せ方をすることで,ヴィアーカントと似た「空間」自体を含んだ奇妙な作品空間をつくりだしている.

「インターネット以降の東京を再構築すること」を目的に掲げた展覧会「世界制作のプロトタイプ」のキュレイター・上妻世海は参加作家のHouxo Queの提案を受けて,明るい1階=「反射光」,暗室の2階=「透過光」という会場構成を行い,「どのような媒体でネット上の表現を空間に出力するか考える」ことを作家に要請した(3).この要請はヴィアーカント/ロバックの作品の見せ方とはリアルとネットのベクトルが逆になっている.ヴィアーカント/ロバックは「リアル→ネット」であり,上妻は「リアル←ネット」となっている.このことはインターネット以降の東京は「インターネット=透過光」に強いリアリティがあり,その強いリアリティを「リアル=反射光」との関係でどのように再構築すべきかということを示している.

「世界制作のプロトタイプ」に参加したエキソニモ(展覧会には「千房けん輔」として参加)の《Body Paint》,Houxo Queの《16,777,216 views》,梅沢和木の《デジタル・ハードコア・クッキー・レクイエム》は「ディスプレイに絵具を直接塗るという行為」を三者三様の方法で取り入れた作品である.それは通常,反射光と透過光の境目として機能しているディスプレイのフレーム内に「反射光=絵具」を持ち込み,改めて「透過光=ディスプレイ」との関係を構築することを意味する(Houxo Queの作品は絵具に蛍光塗料を使っているため,絵具自体が発光もするため構造は更に複雑になる).これら3つの作品の記録は写真にするとすべてが反射光になってしまい,ネットに上げてディスプレイで見るときにはすべてが透過光になってしまう.そのため,リアル展示空間で同一フレーム内に透過光と反射光を同時に見るという体験が引き起こす感覚の不確かさはインターネットを含めいかなる媒体でも伝えることができない.ヴィアーカント/ロバックが作品の見せ方をネットに最適化して存在が不確かな作品空間をつくったのとは逆に,エキソニモ/Houxo Que/梅沢和木は「ディスプレイに絵具を直接塗るという行為」でリアルに最適化した作品をつくる.そのために,インターネットではその作品体験を伝えづらいものになっている.

インターネットと関わりが深い3組のアーティストが,リアルに最適化したインターネットで伝えづらい作品を制作していることは,ポストインターネットにおける東京の立ち位置を示している.ニューヨークやベルリンといった都市では,リアルとネットは等価だが分離しているがゆえに,「イメージ・オブジェクト」が示すようなネットでの拡散に最適な表現をリアル展示からつくることができる.しかし,東京は他のどの都市よりもインターネットと密着した状態にあり,インターネットは利用するものではなく,ひとつのリアルとなっている.それゆえに,インターネットを意識することが即リアルに接続することになり,インターネットを欧米のアーティストのように上手く利用することができなかった.そのような状況のなかで,エキソニモ/Houxo Que/梅沢和木はネットへの入口となるディスプレイに自己ではなく絵具を密着させてネットとリアルの密着を剥がし,そこに感覚の不確かさを生み出した.画像の支持体であったディスプレイ自体を支持体として「絵具を塗る」というアートのデフォルトの手法を用いて,リアルに最適化しつつインターネットを強く意識させる表現が生まれた.ここに東京におけるポストインターネット的表現の可能性が示されている.


1. Regine Debate (2008), Interview with Marisa Olson, We Make Money not Art,
2. Guthrie Lonergan (2007), Hacking vrs. defaults, http://guthguth.blogspot.jp/2007/01/hacking-defaults-hacking-nintendo.html (2015.11.23 アクセス)
3. 上妻世海「世界制作のプロトタイプ」展,美術手帖 2015年6月号,美術出版社,p.67.

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