ナラティヴの機能性が変化するとき,テクストによってたらしい種類の読み手が生産される.明滅する意味作用の物質的効果は外へ向かって波を打つ.なぜなら,読み手はここで別ン機能性を通して読むことを訓練させられているのだから,そして,この別の機能性は,すべてのテクスト───コンピュータが発明される前に書かれたテクストも含めて───の解釈される仕方に影響を及ぼす.例えば,一部の読み手が印刷テクストに対して今日感じるじれったさは疑いなく生理的および心理的根拠を持っている.彼らは,キーを押すことが,彼に向かって瞬きしてくれるカーソルを見ることが,恋しいのだ.逆に,他の読み手(おそらく同じ読み手であっても違ったモードであれば)は,その耐久性,頑丈さ,使いやすさをあらためて評価して印刷テクストに戻る.コンピュータを経験してはじめて,私は印刷物のある性質をすばらしいと思うようになった.本を開くとほとんどいつもうまくいくし,この時代遅れの親和性は今後何百年にもわたって変わらないだろう.私はまた,折に触れて───例えば書き物を修正するとき───,そこにはあたかも反応を求めるかのように私に向って瞬きするカーソルがいないことをありがたいと思っている.印刷物とはそうしたいだけ一緒にいることができる,というのも,それは消えたり閉じたりしないのだから.(p.105) [強調は水野による]
ヴァーチャルな身体と明滅するシニフィアン,N・キャサリン・ヘイズル
滝浪佑紀訳,表象02
カーソルに関しての記述を見つけた.瞬くカーソル.私たちの反応を求めるかのように瞬いているカーソル.その存在を恋しいと思うとともに,その存在がないことがありがたいと思われるカーソル.
情報ナラティヴにおいてはしばしば,コードそのものおよびコードを生産しコードによって生産される情報工学を参照することなしには,文字通りのレベルでさえ理解できないのだから.明滅する意味作用を介して,コードの生産的な力はテクストを超えて,技術がテクストを生産する意味作用のプロセスおよび,人間を統合された回路へと巻き込むインターフェイスにまでその影響力を及ばせる.技術,テクスト,人間をつなげる回路がますます広がり,その度がますます強くなるにつれ,量的増加が質的変形へと変わる点が近づく.(p.103) [強調は水野による]
ヴァーチャルな身体と明滅するシニフィアン,N・キャサリン・ヘイズル
滝浪佑紀訳,表象02
カーソルは「文字通りのレベル」で理解出来ない.だから,カーソルへの感情は愛おしいと同時に邪魔とも思うようになっているのではないか.だから,カーソルを支えているコードから理解しなければならない.しかし,私はそのコードを知らない.その上で,どうやって理解していけばいいのかを考えていかなければならない.