メモ:仮想世界空間とみえないちから

現実世界と仮想世界を重ね合わせたものの総体をひとつの可能世界として見る発想が生まれる(図1).そして,可能世界は「これがすべてではない」というアイデアに支えられており,そこから「みえないちから」=「もうひとつの世界」を信じるという経路ができあがる.「可能世界」という考え方の中で,現実世界はリテラルに「もうひとつの世界」との関係を持つことではじめて成立するようになっている.その上に,これらの状況を粗視化・抽象化するための「中間層」としてメディアアートが作られている,と考えてみる.

図1
「可能世界空間論」と「みえないちから」のふたつの展覧会に出品しているエキソニモの作品は,「可能世界」を支持する量子力学的世界観そのものをを示していると考えられる.それは,「ひとつの事象に対するふたつの表現(図2)」を作品の中で示すということである.「カーソル」「スプーン」という身近な素材を「可能世界」というひとつの事象を示す印として用いて,鑑賞者がその印を見ることで,「現実世界|仮想世界」」「現実世界|みえないちから」というふたつの表現=世界を意識させる.

図2

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