メモ:仮想世界空間とみえないちから

現実世界と仮想世界を重ね合わせたものの総体をひとつの可能世界として見る発想が生まれる(図1).そして,可能世界は「これがすべてではない」というアイデアに支えられており,そこから「みえないちから」=「もうひとつの世界」を信じるという経路ができあがる.「可能世界」という考え方の中で,現実世界はリテラルに「もうひとつの世界」との関係を持つことではじめて成立するようになっている.その上に,これらの状況を粗視化・抽象化するための「中間層」としてメディアアートが作られている,と考えてみる.

図1
「可能世界空間論」と「みえないちから」のふたつの展覧会に出品しているエキソニモの作品は,「可能世界」を支持する量子力学的世界観そのものをを示していると考えられる.それは,「ひとつの事象に対するふたつの表現(図2)」を作品の中で示すということである.「カーソル」「スプーン」という身近な素材を「可能世界」というひとつの事象を示す印として用いて,鑑賞者がその印を見ることで,「現実世界|仮想世界」」「現実世界|みえないちから」というふたつの表現=世界を意識させる.

図2

このブログの人気の投稿

メディアアート概論(2025年度水野担当分)の授業資料

artscapeの#30周年記念企画の座談会「30年後のウェブメディアを構想する」に参加しました

カーソルについて何か考えたこと,または,エキソニモの《断末魔ウス》《ゴットは、存在する。》の感想

メタファーと身体の関係

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

「サブシンボリックな知能」と Doing with Images makes Symbols

ポスト・インターネットで途方にくれないためのメモ

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

「非-用具的道具」?

日本映像学会第51回大会での発表:VR体験をしているマウスにとっての映像とは何なのか