ÉKRITS連載_カーソル・ラバーハンド錯覚・スワイプ ── 「画面帰属感」がつくる自己を画面に帰属させたミニマルセルフ - インターフェイスを読む #8

エクリでの連載「インターフェイスを読む」を更新しました.第8回目のタイトルは「カーソル・ラバーハンド錯覚・スワイプ ── 「画面帰属感」がつくる自己を画面に帰属させたミニマルセルフ」となります.

先日参加した,表象文化論学会オンライン研究フォーラム2023のシンポジウム「皮膚感覚と情動:メディア研究の最前線」の発表原稿に加筆修正して,エクリに掲載してもらいました.そのため,連載で使ってきた「合生的」という言葉が使われていません.しかし,最後で現れる「画面帰属感」という言葉は,これまで連載で書いてきた「合生的行為」や「合生的出来事」の源にあるit-from-bit,情報主導の世界を紐解く端緒になるかなと思っています.「合生的行為」や「合生的出来事」は,ヒトが画面に帰属した先に情報への帰属を感じながら,意思と予測情報とが入り混じった感じを抱きながら行う行為であり,その感じとともに現われる出来事なのではないかということです.

科研「生命と物質に関わる理論的調査と制作実践」で「物質としてのインターフェイスの生命化」ということを考えて来たら,物質と生命を統合する情報に帰属するヒトという考えができ来た感じです.

このブログの人気の投稿

メディアアート概論(2025年度水野担当分)の授業資料

artscapeの#30周年記念企画の座談会「30年後のウェブメディアを構想する」に参加しました

カーソルについて何か考えたこと,または,エキソニモの《断末魔ウス》《ゴットは、存在する。》の感想

メタファーと身体の関係

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

「サブシンボリックな知能」と Doing with Images makes Symbols

ポスト・インターネットで途方にくれないためのメモ

「非-用具的道具」?

日本映像学会第51回大会での発表:VR体験をしているマウスにとっての映像とは何なのか

デジタルな現象をそのまま扱うということは,モダニズム的な態度