メモ_herを見た直後の感想


スパイク・ジョーンズ監督の「her」を見た.AppleのAirPodsが発表されたから,インターフェイスの未来を考える参考になるのではないかと思ったのであった.音声インターフェイスって,とても直接的で解像度が高いのではないかと思った.もちろん,映画はスカーレット・ヨハンソンの声だから解像度が高いのは当たり前だけれども…

視覚的インターフェイスはまだまだ改善の余地はあるかもしれないけれど,音声インターフェイスのイヤホンとマイクというかたちはもう改善の余地がないのではないだろうかと思った.音声認識とAIの精度というか,進化は必要だけれども,音声に関するインターフェイスとしては完成されているかもしれないと映画を見ていて思った.イヤホン型のコンピュータはいつでも装着できるし,「音」のインターフェイスだから「盗撮」といった視覚的なプライバシーを犯すという感覚をヒトに与えにくいのはいいかもしれない.けれど,音声インターフェイスが全盛になると,音声のプライバシーへの意識が上がるのかもしれない.

映画の中ではじめて主人公がOSとデートのようなことをしているところが印象にのこった.iPhoneみたいな装置についているカメラを「眼」にして外界を「見て」.そこから指示を主人公の耳に「囁く」.主人公がとても楽しそうだった.目を閉じていたので,私が思っている以上に楽しかったのかもしれない.

インターフェイスに関していえば,主人公とOSとの関係が少しギクシャクしたときに,主人公がイヤホンを投げ捨てたところが気になった.あの投げ捨て方は,とても気持ちを入れていたものであった.モノをモノとして扱いながらも,そこに感情移入もしている.どこか奇妙な感じがあった.ハードにソフトが載ることで,ヒトにとってのモノの意味が変わってしまうような感じがした.音声を聞かせるモノでしかないイヤホンがOSと結びつくことで,人格を得てしまう.OSの人格がモノに憑依する.モノはモノでしかないけれど,ヒトの認識が変化する.でも,それは認識の変化でしかないから,モノとして放り投げてしまう.ここには,これからモノをどう扱うことになるのか,モノに感情移入してしまうことを感じた.

私たちは既に画面のなかのカーソルやキャラクターに感情移入できたり,自己帰属感を得たりしているので,モノにそういったことを抱くことは当然だし,もう行われているだろう.しかし,「her」で感じたのはモノの「帰属」や「愛着」といったものではなかったような気がする.人格OSだから,帰属や愛着以上のもの感じたのかもしれない.

そもそも音に自己帰属感は生じるのだろうか.耳元で囁かれるだけで,それは世界そのものとなるのではないだろうか.ウォークマンが自己を世界から遮断する装置になったように,音は世界を遮断する装置になる.だとすると,音声インターフェイスはユーザとデータとのあいだに帰属感をつくるものではなく,データがユーザを世界から遮断するインターフェイスとして機能するのかもしれない.

カーソルやタッチパネルとか視覚的なインターフェイスが自己帰属感をつくりだすことを目指しているとすると,herのような音声インターフェイスはヒトを世界から遮断して,データの世界に隔離するように機能するのではないか.データはどこにも帰属しない,けれど,ただただ遮断された世界にあるものとして提示される.

でも,この考え自体が視覚の延長で聴覚的インターフェイスを考えているのかもしれない.「her」も視覚的メディアの映画のために聴覚的インターフェイスをつかっている点では,視覚的世界の延長で聴覚を考えたものだともいえる.インターフェイスの未来は,一度視覚的ものから離れることで見えてくるかもしれない.

このブログの人気の投稿

MASSAGE連載02_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/3DCGを切り取る「型」としてのバルクとサーフェイス

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

「薄さ」を与えられた平面:藤幡正樹の作品における平面の諸相

アート部門 受賞者トーク:『アバターズ』の告知🗣とメモ✍️(追記へのリンクあり)

\風景+ を見ながらのメモ

THE COPY TRAVELERSとのトークのメモ

インターフェイス再考:アラン・ケイ「イメージを操作してシンボルを作る」は何を意味するのか.

VRトーク&ワークショップイベント「没入の宴 〜”俺の嫁”から”嫁が俺”へ〜」でのトークの告知💬とメモ✍️

ポスト・インターネットのなかに「幸村真佐男」を置いてみる

紀要論文「ポストインターネットにおいて,否応なしに重なり合っていく世界」